一九三七年 飯田線開通 愛されて80年⑤

2017/08/19 00:00(公開)
すべり台で遊ぶ親子でにぎわっていた長山遊園地(豊川市桜ヶ丘ミュージアム提供)
東三河で最初に誕生した行楽地「長山遊園地」

 戦前、豊川市上長山町の飯田線・長山駅近くに「長山遊園地」という東三河で最初に誕生した行楽地が存在した。
 当時、飯田線を運営していた私鉄の豊川鉄道は、1930(昭和5)年に上長山町の水神平あたりの野生ツツジが生息する丘陵地を開発。「つつじ公園」として整備し、2年後には公園施設を拡充して「長山遊園地」と改称した。
 当時、この地方では最初の遊園地で、中心部には移築改装された豊川駅舎を休憩所や食堂に、遊具やグラウンド、猿などが観察できる動物園や割烹(かっぽう)店などがあった。特にすべり台は当時は珍しい遊具で、週末は多くの親子でにぎわい、長蛇の列ができた。
 児童遊園地には白亜の女神像が立ち、グラウンドでは運動会などのスポーツ行事や祭事が開催された。男子の競技として絶大な人気を誇った剣道の大会では地元の一宮東部、一宮西部小が優秀な成績を収めた。
 また、ツツジや桜、近くを流れる豊川(とよがわ)といった自然環境にも恵まれ、「長山ホテル」やラジウム温泉施設「宝泉閣」には、飯田線に乗って訪れた多くの宿泊客が訪れた。
 しかし、太平洋戦争が激化すると、食糧不足の対策のため、圃(ほ)場への転用が決定。華やかな一大行楽地はサツマイモやジャガイモの畑に姿を変えた。遊園地としてはわずか2年の歴史に幕が下ろされた。
 戦後、跡地は住宅街として整備され、避難所にも指定される一宮東部老人憩の家などがある。(おわり)
(由本裕貴)
長山遊園地跡地は住宅街や一宮東部老人の憩の家となっている=豊川市上長山町で
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