そこに刻まれた轍 ほのくに幻影物語

2018/09/20 00:00(公開)
「大清水グランド」と記された1939年当時の地図(豊橋美術博物館提供)
②大清水球場

 鉄道会社が持つ野球場と言えば、阪神電鉄の阪神甲子園球場が有名だが、東三河にもかつて同様の球場が存在した。戦前の1925(大正14)年、豊橋鉄道の前進である渥美電鉄により、豊橋市大清水町に大清水球場がオープンした。
 1939(昭和14)年当時の地形が分かる豊橋市美術博物館所蔵の地図「豊橋乃其近郊」には、大清水駅の南西部に「大清水グランド」と記されている。「古地図で楽しむ三河」(風媒社)によると、当時は鉄道会社による球場建設が全国的にブームで、渥美電鉄も前年に完成したばかりの甲子園球場を視察。新豊橋~大清水の乗客は運賃を3割引きにして来場を促した。
 「時習館野球部100年史~健児が腕に力あり~」には、開場日の8月9日に時習館高校の前進である豊橋中学と岐阜中学、豊中クラブと名鉄クラブによる記念試合の模様が記録されている。豊橋中-岐阜中は打ち合いとなり、豊橋中が竹内良一、田中忠バッテリーの活躍もあって7-6で勝利している。
 この時、試合に臨んだ選手は「渥美電鉄沿線、広漠たる高師原南端に新設されし大清水グラウンド。面を西南にすれば白砂に彩る松の緑に続きて大崎の浜の波や静かに近く浜づたいの真帆片帆遠く水煙にかすむ島、脊を転ずれば赤石山脈の群峰一望の中にあり」「開場試合に向ふ我部、永久の記念として記録のペイジを飾るべし」などと情景も踏まえて振り返っている。
 球場周辺に陸上トラックなどの運動競技施設や住宅地の整備、桜の植樹などが計画されたが、その後球場は消滅。現在、跡地には街の発展を支えた球場の名残を示すテニスコートがある。
(由本裕貴)
球場跡地にあるテニスコート。後方は渥美線・大清水駅=豊橋市大清水町で
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