【夏の甲子園'25】選手と壁つくらず「萩本さん」 豊橋中央の快進撃支えた監督の指導哲学

2025/08/14 00:00(公開)
練習で笑顔を見せる選手たちと萩本監督

 豊橋中央高校野球部の選手たちは、萩本将光監督のことを「萩本さん」と呼ぶ。他校ではまり見られないこの呼び方が、伝統となっていた。創部23年目にして初の甲子園出場を果たし、強豪を追い詰めた快進撃の裏には、萩本さんの指導哲学があった。

 

グランドでは「おやじ」

 

 同校の野球部の歴史は20年ほど。1924年に愛知和洋裁縫女学校として開校し、豊橋女子高校を経て、現在の校名に改め男女共学となったのは97年。2002年、野球同好会が発足し、03年に野球部が誕生した。学校の「大山グラウンド」は昨年までサッカー部と兼用で打撃練習は週に数日。屋内練習場もない。それでも、萩本監督は「環境のせいにせず、『雨にも負けず風にも負けず』という気持ちでやってきた」と回想する。

 

 萩本監督が豊橋中央のコーチに就任したのが13年。監督は18年からだ。人として対等に接する「選手ファースト」の姿勢を貫いてきた。「コーチ」「監督」といった肩書は、子どもたちとの間に無意識の壁を生む。選手が首脳陣を「さん」づけと呼ぶのもその一環だ。「選手は監督やコーチと呼ぶのに、監督が選手を呼び捨てで呼ぶのはおかしい。人と人なので」と説明する。

 

 インタビュー中に近藤瑠生斗選手(3年)が通りかかった。すると、萩本監督は「体重はどうだったか。朝はちゃんと食べられたか」と声を掛けていた。「グラウンドでは『おやじ』。野球の話は真剣にするが、冗談を言い合ったり、私生活の話題までよくしゃべる」。一方で「駄目なものは真剣に止める。これがあるから人間関係が成り立つ」と厳しさもある。

 

裏表ない子を育てたい

 

 髙橋大喜地選手(同)がアントニオ猪木さんの表情を見せるなど、選手たちが野球を楽しむ姿が話題になった。これについて萩本監督は「練習は厳しく、試合は遊び感覚でと選手たちに伝えている」と明かす。また「裏表ない子どもを育てたい」と思いも。「普段の学校生活で『ウエー』と楽しんで、野球では真剣な顔をしてやるというのは違う。練習でも試合でも、普段の生活でも顔つきが変わらない子を育てたい。裏表ないから選手たちも一生懸命できる」と話す。

 

 砂田隆晴主将(同)も「萩本さんは一番熱い男で野球に真剣に向き合ってくれる。それを感じ、『この男についていく。甲子園で勝たせるんだ』と決めた。常日頃から『人間として頭いい悪いじゃないぞ。礼儀ができる人間になってくれ』と言い続けてくれた。それを意識し行動した結果、今につながっている」と尊敬する。

 

 ベンチや応援席から元気な掛け声や声援が飛び、全力で走る「これぞ高校野球」という姿。日大三(西東京)には2対3で敗れたが、強豪をあと一歩まで追い詰めた。「日大三の監督にも『すごい良いチームですね。鍛えられていますね』と言われた。周りが見て、勝ち負けじゃないところを評価されたのがうれしかった」と振り返った。

「楽しむ野球」で話題となった髙橋選手
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北川壱暉

 1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。

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