東三河とフェニックスに感謝 市川前会長「出会いは財産」 勇退し家族との新生活へ

2026/03/09 00:00(公開)
フェニックスでの16年間を振り返る市川さん
フェニックスでの16年間を振り返る市川さん

 

 バスケットボールBリーグ「三遠ネオフェニックス」の運営会社「フェニックス」の前会長で、元オーエスジー常務の市川栄二さんが今月、住み慣れた東三河を離れ家族の暮らす神奈川県へ拠点を移す。親会社からの出向で、名門実業団チームのプロ化初年度からクラブと苦楽をともにした。新リーグは今秋から始動し、新たな拠点と期待するアリーナも着工した。東三河での36年とクラブでの激動の16年間を振り返り、今後は新天地でブースターの1人として古巣の活躍を見守る。

会長勇退で太田選手(当時)から花束を受け取る市川さん(24年5月)
会長勇退で太田選手(当時)から花束を受け取る市川さん(24年5月)

本社勤務で東三河へ  製造業からバスケクラブ経営者に 

 

 「フェニックスで6人の社長と7人のヘッドコーチ(HC)と一緒に仕事した」。旧実業団リーグからプロ化を経て、現在はBリーグ屈指の強豪となったクラブをよく知る数少ない存在だ。

 

 クラブの運営に携わったのは2005年。大学卒業後は親会社のオーエスジーで営業畑が長く、89年から本社勤務で東三河へ転居した。本社管理部長や営業統括常務を経て、関連会社の社長として会社員人生の集大成と考えていた矢先で異分野への出向だった。

 

クラブ強化へプロ化選択  bjからBリーグ経験した16年間

 

 クラブは同年「日本バスケットボールリーグ(JBL)を離脱、プロ化に伴い創設された「bjリーグ」へ参画した。

 

 「親会社の大沢輝秀さん(社長、故人)や創部者で元専務の大沢茂樹さんは日本一のクラブを目指していた。親会社の資金力がチーム力に直結する実業団ではなく、自立経営で強くなれるプロ化が不可欠との考えが強かった」と説明した。

 

 チームを率いた名指導者で知られる中村和雄HCだ。実業団時代には中学生だった太田敦也さんに注目し、その後の師弟関係も築いた。太田さんは18年にわたり主力としてチームを支えた。

 

 16年のBリーグ移行後は低迷期もあったが、20年には特別指定枠で河村勇輝選手も入団。在籍わずか一季だったが「社員寮で暮らした思い出を忘れておらず、寮母さんとも交流が続いている。人気者になっても声を掛けてくれる義理堅さが印象的だった」と懐かしむ。

 

大野HC迎え再認識  スポーツで勝つことの重要性

 

  大野篤史HCになって4年目。チームは屈指の強豪に成長した。

 「強さの追究が勝利につながり、支えてくれる人への恩返しになる。これをバスケで体現した功績は大きい。リーグ中地区の連覇で大きな転換点に立った気分だ。フェニックスのイメージをつくってくれた。bjリーグ以来、優勝から遠ざかっていた。最後の4年間で勝つ喜びを再び感じられた」と感謝した。

 

 36年間暮らした豊橋と東三河、16年携わったフェニックスの経営。家族と暮らすため、今後は遠くから古巣の活躍を見守る立場となった。市川さんは「会社員や経営者として地域では多くの人と出会った。尊敬する大沢輝秀さんをはじめ、東三河で暮らした36年間、フェニックスとの16年間での多くの人に支えられた。この出会いは大切な財産だ」と語った。

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加藤広宣

愛知県田原市出身。高校卒業後、大学と社会人(専門紙)時代の10年間を東京都内で過ごす。2001年入社後は経済を振り出しに田原市、豊川市を担当。20年に6年ぶりの職場復帰後、豊橋市政や経済を中心に分野関係なく取材。22年から三遠ネオフェニックスも担当する。静かな図書館や喫茶店(カフェ)で過ごすことを好むが、店内で仕事をして雰囲気をぶち壊して心を痛めることもしばしば。

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