菅原由勢選手はなぜ日本代表まで上り詰めることができたのか。ASラランジャ豊川代表の宮澤淳さんに聞いた。
―うまくいかないこともありましたか?
◆もちろんありました。試合に勝つこともあれば負けることもある。負けると悔し涙でした。負けた直後はよく泣いていました。でも解散する頃には切り替わっていて、また元気な彼に戻っていましたね。それから、彼が休んだ記憶が本当にないんです。
―才能があったのでしょうか。それとも努力家だった?
◆才能型という印象ではないですね。とにかくサッカーが大好きだったんです。彼の場合は。努力をしているという感覚すらなかったと思います。ボールを蹴ること自体が楽しかったから自然と人より長い時間ボールに触れ、結果として成長していった。それが一番大きかったと思います。
―グラウンド外ではどんな子でしたか?
◆自分に矢印を向けられる選手でした。うまくいかない時でも他人のせいに一切せず、今の自分に何ができるのか、何をやるべきなのかを常に考えていました。
―日本代表になれた理由は何だと思いますか?
◆周りの環境が本当に大きかったと思います。保護者は「やりたければ好きなだけやればいい。辞めたければ辞めればいい」というスタンスで見守っていました。僕も「100を教えてしまうと、彼は僕そのものになってしまう」と考えました。本当はたくさん言いたいこともありました。でも、僕を超えて突き抜けてほしかったんです。失敗してもいいから、自分で決めてほしかった。
―日本代表に決まった時の気持ちは?
◆まずはほっとしました。親心みたいな感覚ですね。発表当日は、祝福の連絡を控えていましたが、彼からメッセージが来ました。
「おめでとうございます。アメリカで待っています」と。選出翌日は、クラブの子どもたちもワールドカップの話題で持ち切りでした。お兄ちゃんみたいな存在なんでしょうね。
―菅原選手に一言。
◆ワールドカップの舞台でプレーする姿を見たいですね。頑張ってほしいです。できればアメリカで見たいです。
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2000年生まれの豊橋市出身。2024年に入社。
趣味は7歳から始めて現在で18年目のサッカー。スポーツを通して地域を盛り上げていきたいとの想いから、東三河の小学生サッカーを取り上げた『エンジョイサッカー』の連載を企画し2024年4月に連載スタート。
輝く子供達の様子を誌面にて伝えている。
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