「第108回全国高校野球選手権愛知大会」で、豊丘の山本剛之監督と主戦の山本誠剛選手(3年)の「親子鷹」での挑戦は、初戦の名古屋大谷にサヨナラ負けし、幕を閉じた。
両チーム無得点で迎えた七回、豊丘が2点を先制した。しかし、誠剛選手は八回に2死一、二塁のピンチから右前適時打を浴びて1点差。最終回に先頭打者に三塁打を浴び、右前適時打で同点、2死までこぎつけたが、右中間を抜ける適時二塁打を浴びた。「味方が点を取るまでは絶対に失点しないという気持ちで投げたが、最終回に先頭を出してしまったのが悔やしい」と振り返った。山本監督は「流れを失いたくなくて無難な策を選んだが、もっと大胆に動いていれば違ったかもしれない」と悔やんだ。
誠剛選手が野球を始めたのは幼稚園の頃。父の影響だ。その後「つつじフォックス」「豊橋東部中クラブ」を経て豊丘への進学を決めたのは、幼い頃から父の野球を間近で見てきたからだ。観戦に行くこともあった。理論的でありながら大胆な父の采配に憧れを抱いていた。グラウンドでは「監督と選手」として一線を画す一方、自宅では試合の振り返りをすることも。
誠剛選手は入学当初、監督の指示の「初球から振れ」に納得しないことがあった。山本監督は、親子だからこその指導の難しさも感じていた。それでも「周囲から優遇されていると思われないよう、起用には人一倍気を使った」と振り返り、実力を慎重に見極めてグラウンドへ送り出した。
1年秋背番号1を背負った桜丘戦で自身のミスで逆転負け。「主戦の自覚」を芽生えさせ、2年時には新城有教館を1安打完封で下すなど、チームの柱へと成長を遂げた誠選手。技術面だけでなく、「あいさつの徹底」や「道具を大切に扱うこと」など、人としての姿勢も豊丘で学んだ。
大学でも野球を続ける。山本監督は、息子の成長を評価しつつも「努力の量に関しては自分の高校時代の方が勝っていた。大学では自分と向き合い、本当の努力ができる人物になってほしい」とエールを送る。最後の夏に届かなかった勝利のために必要なのは「日頃の行いや努力の積み重ね」。誠剛選手は「次のステージでも人間的な成長を重ね、チームを勝利に導ける投手になって恩返ししたい」と誓った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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