県立豊橋南高校出身の大久保研介さん(43)は、米大リーグ「ロサンゼルス・ドジャース」と契約し佐々木朗希投手(24)の専属トレーナーとしてチームに帯同している。プロ野球の現場に身を置いてすでに10年以上。日本、米国、台湾と3カ国のプロ野球を渡り歩いてきた鍼灸(しんきゅう)師、ストレングス・コンディショニングコーチだが、その歩みは決して平坦なものではなかった。
大久保さんが野球を始めたのは小学校4年の時。母から「あんたも行ってきな」と言われたのがきっかけだった。豊橋南高校では3年夏、自らが最後の打者となって初戦敗退した。「がむしゃらにやるだけではなく、努力の方向性が大事だと痛感した」という。チームに貢献できなかったもやもやが、その後の人生を変えていく。「もっと正しい知識があればうまくなれたのではないか」。答えを求め、2002年に単身米国へ。転学先のアリゾナ州立大学では「うかうかしていられない」と覚悟を決め、図書館にこもる猛勉強を重ねた。差別用語を投げかけられることもあったが「アジア人を低く見る態度への強い反抗心が、逆に踏ん張る原動力になった」と振り返る。
進むべき道が開けたのは大学時代、選手として再起を図り大リーグのテストに挑戦した時だった。ブランクで思うように体が動かない中、鍼灸の施術を受け「一発で治った。この技術はすごい。目からうろこでした」と衝撃を受ける。「米国で成功したければ、米国人と同じスキルを持っていても駄目。プラスアルファが必要」と考え、帰国後3年かけて日本の資格を取得。独自のポジションを確立させた。
台湾プロ野球や元中日ドラゴンズのチェン・ウェイン投手の専属を経て、18年に恩師の紹介で千葉ロッテマリーンズに採用された。そこで出会ったのが佐々木投手だった。初めて対面した際、190㌢を超える長身に「こんな高校生がいるのか。どうやって体を使っているのだろう」と驚いた。球団のアナリストが全体の平均値を正確に出すために、あまりに突出した佐々木投手のデータを意図的に除外していたほどの規格外ぶりだった。
佐々木投手本人から「将来米国に行くことがあれば一緒に来てほしい」と依頼を受け、24年、ドジャース入団に伴い専属として渡米した。昨年のワールドシリーズでは、万全ではない中で中継ぎ登板した佐々木投手が、誰よりも入念に準備を重ね、自分のできることに集中し続ける姿を間近で見守った。現在は、鍼灸やマッサージを用いた体のケア、オフシーズンの自主トレ同行に加え、今年から通訳としての肩書きもつき選手の意向を球団に伝える「橋渡し役」も担う。「連携の重要性を昨年の経験から再認識し、自身の反省点として今後に生かしたい。まずは彼の目標達成のために全力を尽くす。彼の目標は私の目標」と語る。
海外に挑戦しようとする人々に向けて、大久保さんは「志を立てるのに遅すぎることはない」とエールを送る。自らもさらなる高みを目指し、日々アップデートを続けている。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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