筆者は5年前に豊橋へ転居した。それ以前は、日本海側の山形県庄内地方に住んでいた。豊橋と同じく、庄内は日本海から吹く風が強い。強風が原因となった昭和51年の酒田大火、平成17年の羽越本線列車脱線事故を記憶する読者もいることだろう。
庄内地方には鶴岡市・酒田市・庄内町・遊佐町・三川町の2市3町がある。このうち、鶴岡は「武士の町」、酒田は「商人の町」といわれる。前者は、酒井家が統治した庄内藩の本拠地で、質実剛健の気風とされる。後者は、豪商の本間家が知られ、北前船が寄港した、華やかな気風といわれる。
1622年、庄内藩は酒井忠勝が初代藩主として入部した。酒井忠勝の先祖に当たる忠次は1564年、三河吉田城の城主となっている。つまり、酒井家(左衛門尉家)の初代ともいわれる忠次、その3代が忠勝であり、豊橋と鶴岡にはつながりがある。鶴岡市内には酒井家の当主が今も住んでいる。
そのためだろうか、三河と庄内には似た地名がみられる。例えば、愛知の「三河」に対し、庄内には(漢字は異なるが)「三川」町がある。愛知の「渥美」半島に対し、庄内には「あつみ」温泉がある。また、豊橋市内に「飽海町」があるのに対し、庄内には「飽海郡」がある。庄内に移り住んだ三河に縁のある人々の望郷の念によるものか、あるいは、単なる偶然か、このことを筆者は一部の方々に問いかけたことがあるが、今も疑問は解消されていない。
こうした豊橋と鶴岡の歴史的な縁をいかすことはできないだろうか。
まず、災害時の相互支援の場面が考えられる。中国では自治体が他の自治体をペアになって支援する仕組み(対口<たいこう>支援)がある。2008年の四川大地震では、被災した都市への対口支援によって復興のスピードが速まったと聞く。
日本版の対口支援ともいえる「災害時相互応援協定」に関し、豊橋市は五つの協定を結んでいる。その相手方は三遠南信39市町村、尼崎市、横須賀市、中核市62市、菊川市である。だが、もし南海トラフ地震が起きれば、太平洋側にある尼崎市・横須賀市・菊川市は強い揺れや津波の襲来が想定され、自らが「被災地」となりかねない。三遠南信や中核市の協定先の中には、自らが「被災地」となる自治体があり、そうでないとしても、豊橋市以外の自治体とも協定を結んでいれば、そちらへの対応も求められるだろう。
広域的かつ甚大な被害が想定される南海トラフ地震が発生したとき、協定相手の自治体からの豊橋市への支援は控えめに考えておくべきかもしれない。であれば、太平洋側と日本海側に離れた両市の相互支援の枠組みをつくることは双方に有益となるのではないだろうか。
次に、鶴岡には慶応義塾大学先端生命科学研究所や山形大学農学部のほか、鶴岡工業高等専門学校といった理系の高等教育機関がある。そのため、豊橋にある文系かつ地域力向上の研究・教育に取り組む愛知大学との学術領域での相互補完や、高専卒業生が多い豊橋技術科学大学との連携が考えられる。学生を中心とした交流により、関係人口が創出される可能性がある。
筆者にとって、両市に住むことは奇縁でもある。過去・現在・未来へとつながる両市の交流が生まれることを願っている。
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