今年は昭和100年、戦後80年となります。ロシアとウクライナの戦闘は未だに続いていますが、過去には日本もロシアによる東アジアでの南下により戦火を交えました。危機感から何度も交渉を試みたが暖簾に腕押し状態でした。昔も今もロシアは力や威圧による一方的な現状変更をしてきました。
「坂の上の雲」にもありますが、国難に対し小国日本は乾坤一擲(けんこんいってき)、大国ロシアへ果敢に挑みました。120年前のまさにこの時期、日本海海戦(日本以外の国々では対馬沖海戦と呼ぶ)でリバウ軍港を出航し、ウラジオストック港を目指して対馬海峡を突破しようとしたバルチック艦隊に壊滅的な打撃をあたえ勝利を決定的なものにしました。
当時連合艦隊は極東海域の制海権を確保しており、艦艇を点検修理するとともに徹底した訓練で自信を付けていましたが、唯一の問題はバルチック艦隊がどこを航行するかでした。対馬か津軽か宗谷海峡の3カ所が考えられましたが、戦力を分散せず一カ所集中に賭けました。
何事もそうですが準備万端でも不安は募るものです。連合艦隊にも迷いがあり、ある時期までに発見できなければ移動する予定でした。そんな中、信濃丸が発見し「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」と送りました。そこで三笠は大本営に向けてあの有名な「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪髙シ」と打電しました。
この海戦での勝利は和平交渉へとつながり、ポーツマス講和会議への道を開くことになりました。世界を驚かせたのは、50年前まで鎖国をしていた小さな新進国が大国ロシアに対する勝利だけでなく、戦時法の遵守が徹底していたことです。捕虜に対する十分な治療や食事はここ豊橋でも行われました。日本は強いだけでなく文明国であると称賛が寄せられました。以前三笠記念艦のガイドさんが「あの艦橋画から撃滅する自信が目にあらわれ、逃げない強い気持ちが両脚に、そして陣頭指揮の態勢が勝利の鉄則」と言われたのを思い出しました。
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