【連載】アジアの街角から〈3〉愛知県庁駐在員リポート|上海産業情報センター 鈴木健大

2025/09/22 00:00(公開)
武漢で眺めた黄鶴楼。見た景色が「共有できる何か」になった=湖北省武漢市武昌区で2025年6月、筆者撮影

小さな共有で心晴れやか

 

 「言葉や文化の壁」と聞くたび、高くそびえ立つ「壁」ではなく、雨で曇った窓ガラスを思い浮かべる。相手の姿は透けて見えるのに、肝心の輪郭がかすむ…そんな感覚だ。

 

 先日、現地の方と雑談していた。彼が「名古屋に留学していた頃に食べたみそカツが忘れられない」と切り出した瞬間、胸の奥でカチリと音が鳴り、二人の間の距離がわずかに縮まった。みそだれの甘い香りがふわりと広がり、育った土地も母語も違う私たちが同じ情景を思い描けた。

 

 別の日、中国語学校の先生に「最近、上海以外の都市に行く機会はありましたか」と問われ「武漢で眺めた黄鶴楼がとても美しかった」と答えると、「武漢は私のふるさとです」と目を丸くし「そう言ってもらえてうれしい」と彼女の笑顔が広がった。曇ったガラスを指でそっと拭い取ったように、輪郭が急にくっきりした瞬間だった。

 

 日々の上海でも、曇りがふっと晴れる場面に出合う。それが起きるのは、二人のあいだに分かち合える感覚を見つけたときだ。愛知のジブリパークの話をすれば、相手は「千と千尋の神隠し」の海原を走る電車や「となりのトトロ」の夜のバス停を挙げ、こちらも好きな場面を返す。きしめんは幅広だと話せば、相手は刀削麺のコシの話で返し、最後は「結局、どちらもおいしいよね」と笑い合う。そんな小さな共有が、互いの輪郭を少しずつ確かにしていく。

 

 中国の社会学者、費孝通(フェイ・シャオトン、1910~2005年)は、生涯の到達点としてこう記した。「各美其美、美人之美、美美与共―それぞれの文化が自分らしい魅力を持ち、互いにその魅力を認め合い、分かち合うことで、世界はより豊かになる」

 

 言葉は、思いを届かせ、理解し合うためのツールのひとつにすぎない。だからこそ、人は言葉を磨き、ときには翻訳アプリも頼りにしながら、食や習慣といった日々の文化や経験を分かち合い、曇ったガラスを両側から磨き続けるのだろう。きょうも私はこの街で、互いの文化が重なる小さな点を探す。小さな共有を見つけるたび、曇りは薄れ、相手の顔が少し鮮やかに映り、こちらの世界ももう一段クリアになる。

 

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