男性が地域を散歩をしていて何気なく視界に入った橋の下の落書き。男性が声を上げ、周囲が呼応し、個人が、地域が、行政が動き、この落書きを消した。よく聞く「地域の絆」という抽象的な言葉が、世代を超え、立場を超えて具体化した、ひとつの取り組みを取材した。
3月の午後3時頃、豊橋市東田町の原田吉宏さんは、つぼみが膨らみ始めたソメイヨシノを見上げながら、近くを流れる朝倉川の河川敷を散歩していた。4人が横に並ぶのが精いっぱいの河川敷。頭上を交差する道路の橋の下に差しかかった。
コンクリートブロックや橋に黒や赤のスプレーで書かれた落書きがあった。そしてそのすぐ横では、スケートボードに興じる複数の中学生。原田さんは話しかけた。「この落書きは君たちが書いたの?」
「違います」。中学生たちは答えた。原田さんはこう返した。「分かった。しかし、この落書きの中でスケボーをやっていると、通りがかりの人にはそう見えてしまう。みんなも疑われるのも遊ぶ場所が汚いのも気分が悪いだろう。私たちがこの落書きを掃除するとしたら君らは参加するか?」。彼らは「します」と答えた。
その1カ月後、地元自治会や桜丘学園の生徒、それにボランティアが続けている朝倉川の清掃に合わせ、原田さんはこの橋の下の落書きもきれいにすることにした。参加したのは、原田さんが所属する手筒花火の「東田煙火会」の仲間たちだ。 市役所職員も、落書きを消すスプレーやこするブラシ、雑巾、手袋などを持ち込んだ。職員はともに膝をつき、手袋をはめ、落書き消しスプレーを吹き付け、壁をこすり続けていた。
この清掃の実現には、原田さんの相談を受けた地元の小原昌子市議が動いていた。「本来ならここは県の管轄。しかし地元で暮らす人にとって、管轄など関係ない。私たちで清掃作業ができるよう県と市役所内の調整をした」と話す。
高校1年生の男子2人が作業に参加していた。このあたりでスケボーをしている仲間だという。「ここで遊んでいる人間として、この作業に参加したいと思いました」
地元の手筒花火の仲間と市の職員が悪戦苦闘したが、落書きは完全には消せなかった。しかし、この清掃作業に参加した人の間には、微妙に達成感のない、年齢を超えた、立場を超えた絆が芽生えた気がしてならない。
編集後記
能登半島地震、東日本大震災、長野県の集中豪雨。全国各地の現場に行くたびに思う。災害が起きてから「絆」と叫んでも、もう遅い。何気ない日常の中でどれだけ関係を築けているか。これに尽きる。日ごろの何気ない地域の活動が、災害時にその地域を支えるすべての土台になる。この土台がなければ、安否確認、食糧の供給、情報伝達ひとつ、何ともならない。
この河川敷に限らず、多くの地域の活動が重層的に重なり合い、有機的なつながりがようやく生まれるのだ。それが地域だ。コロナ禍で失われた一見非効率な人間関係。ある方の言葉を借りると、この一見非効率的な人間関係にこそ、貴重な付加価値が存在する。その意味に光を当て直す時期にきているのではないか。
落書きを消す作業を手伝った。地域の人たちは、周囲を走り回る私の息子に目をかけてくれた。温かい気持ちになりながら、そう感じた。
(本紙客員編集委員・関健一郎)