プロ野球ウエスタン・リーグ公式戦の中日ドラゴンズ対くふうハヤテベンチャーズ静岡戦が豊橋市民球場で24日に行われる。注目は、静岡の左腕で新城市出身の田中健二朗選手(35)だ。横浜DeNAベイスターズで16年を過ごし、戦力外通告を経て昨春から新たな挑戦を続けている。自らの野球人生を振り返り、今後の目標を語った。
小学校2年に軟式の山吉田少年野球クラブで野球を始めた。外野手や抑え投手を務めていたが、目立つ存在ではなかった。中学では、ボーイズリーグの新城ベアーズに所属し、全国大会出場を経験。常葉菊川高校に進学すると、2年秋から主戦としてチームを引っ張り、3年春の「第79回選抜高校野球大会」でチームを優勝に導いた。
プロの夢が大きく近づいた「原点」と語るのは決勝の日大大垣戦。田中選手は二回途中から登板し、緩急自在の投球で強力打線を抑えた。「いつも戦っている相手だったので、優勝したときは実感が湧かなかった。だが、街を歩くと『田中君頑張って』と声を掛けてもらえた。優勝したんだと思った」と回想する。
その年、甲子園通算6勝を挙げたことが評価され、2007年にドラフト1位で横浜に入団した。初登板は9月11日の中日戦。同15日の阪神タイガース戦では初先発初勝利を挙げた。
11~13年は0勝に終わったが、転機は14年。9月から中継ぎ登板で9試合連続無失点。「やっていけるのでは」と手応えをつかんだ。15年からは本格的にセットアッパーに転向。35試合登板で防御率2点台と安定感抜群で、初のオールスター出場も果たした。16~17年と2年連続で60試合に登板する活躍だったが、19年に左ひじを痛め手術を受けた。以降も苦しみ、23年に戦力外通告を受けた。トライアウトを受けたが「これは厳しいな」と落ち込んだ。
そんな田中選手に声を掛けたのが、静岡だった。数日後、社長から「来てくれないか」と直接電話が入った。「ここしかなかった。でも、ただ野球をやるだけではない。地域の人たちと一緒に歩める特別な場所だと思った」と新天地での挑戦を決意した。
静岡での生活は、横浜時代とはまるで違う。遠征では往復6時間以上かけて日帰りバスで移動することもあり、試合前の準備も自分ですることが多い。それでも田中選手は「球速が急に伸びるわけではない。キャッチボールやブルペンでの投球など、ありとあらゆる場面でセンサーを張り巡らせて成長するきっかけを探したい」と必死に汗を流す。
横浜の元投手コーチで通算490登板の木塚敦志さんの言葉が支えてくれる。「きれいなアウトじゃなくていいぞ。泥臭くていいから、這いつくばってでも目の前のアウトを取れ」。特別な変化球があるわけでも、150㌔超の速球を投げるわけでもない。「とにかく低めに」。スタイルを見失った時、この言葉を思い出す。今の目標は再びNPB12球団の舞台に戻ることだ。「結果を残して、またあの場所へ行きたい」と誓う。
豊橋で登板すれば2016年以来9年ぶり。「もし登板の機会があれば、ぜひ見てほしい。豊橋のマウンドで投げる姿が誰かの励みになればうれしい」と笑った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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