脱原発を真剣に考えることの意味
歴史を振りかえってみれば、1986年のチェルノブイリ原発事故はソビエト連邦の為政者に対する国民の信頼を大きく揺るがすことにつながり、ソ連の崩壊を加速させたことは間違いない。しかしながら、福島第一の原発事故は、日本においては、当時政権を担当していた民主党の危機管理能力に疑問がついただけで戦後、日本の歩みとともにあった原発導入の歴史について根本的に総括されることはなく、戦後日本が「反核の平和国家」を目指しながら、米国と安全保障条約を結び、その「核の傘」のなかに入り、「核の平和利用」によって高度経済成長を遂げ、裏では潜在的核保有国を目指していた矛盾に目が向けられることはなかった。現在、冷戦が終了し、アメリカの国力の低下が著しいなか、そろそろ、この矛盾を解決するためには冷戦を前提にした日米安保条約に代わる安全保障システムを構築し、原発に依存しない経済の仕組みを考えるべき時期を迎え始めている。このように脱原発を真剣に考えることは、冷戦時代が終わったことにどのように対応するのかと、いうような根本的な問題に向き合うことが求められることでもある。
現実にドイツやデンマークのような海外の国々ではエネルギー政策を転換させ、再生可能エネルギーによる発電を成功させている。そして、2011年3月11日の東日本大震災によって福島第一原子力発電所の事故が発生し、政府や東京電力が事故対応にあたったが、たしかに日本全体が原子力発電の安全神話を信じ切っていたためかもしれないが、政府、東京電力は適切な対応を行うことができず、原子力災害の被害が拡大することになった。危機管理能力のないことが明らかになるとともに原発の安全神話は完全に否定されたと言っても過言ではない。このような状況であるにも関わらず、現在の第2次安倍内閣は、原子力発電をベース電源とする方針を打ち出し、原発再稼動を前提としたエネルギー政策を進めようとしている。あまりにも危険なギャンブルに日本人全体の命を賭けていると言わざるを得ない。私たちは、もう、ある意味、幸福だった高度成長時代の鉄腕アトムのアニメーションが世の中を席巻した時代には戻ることはできない。今ほど、現実を直視することが求められている時はないはずだ。
終わりに、私たちが使っている沸騰水型原子炉の開発技術者であるリッコーヴァー海軍大将が、1982年、議会委員会でのプレゼンテーションで、興味深い回想をしているので紹介する。
「原子力利用の話に戻りますと生命を可能にすべく、自然が破壊しようとして来たものを、我々は作り出しているのです。(略)放射線を創り出す毎に特定の半減期、場合によっては何十億年のものを生み出しているのです。人類は自滅すると思いますし、この恐ろしい力を制御し、廃絶しようとすることが重要です。(略)放射性物質を生み出す以上、原子力にそれだけの価値があるとは思いません。そこで皆様は、なぜ私が原子力推進の艦船を作ったのかと質問されるでしょう。あれは必要悪です。できれば全部沈めたいと思っています。これで、皆様のご質問にお答えできているでしょうか?」
(取締役統括本部長 山本正樹)