そこに刻まれた轍 ほのくに幻影物語

2020/12/01 00:00(公開)
「豊川国府温泉」などの看板が立つ75年当時の国府町内(国府高校甲子園出場記念誌「球譜」より)
⑮豊川の国府温泉

 東三河の温泉街と言えば蒲郡だが、隣の豊川にもかつて温泉があった。現在の市立西部中学校の西側、国府町山ノ入にあった「国府温泉」。昭和の大衆文化を支え、人々の英気を養った。

 名鉄国府駅から西に約1㌔地点にあった国府温泉には、音羽荘、東台荘、寿楽、少し離れた音羽川沿いに河鹿(かじか)荘といった旅館があった。現在も駅前を拠点にタクシーを運行する東宝交通が温泉街に出張所を置き、電車で来訪した観光客を乗せた。
 地元の国府高校野球部が甲子園に出場した1975(昭和50)年夏、駅と温泉街の中間で、現在の交差点「新栄2」付近で行進する生徒らを撮影した写真には「豊川国府温泉」「音羽荘」と書かれた看板が確認できる。三本の湯気が立つ、おなじみの温泉マークもあった。
 この交差点から南側の旧東海道は「銀座商店街」と呼ばれ、当時は飲食店やパチンコ店、映画館などがあった。音羽川に架かる豊成橋のふもとには“昭和の歌姫”美空ひばりも来た劇場「霞座」があった。三河湾を望む弘法山は桜の名所としても知られ、国府温泉はこれら大衆文化と豊かな自然を満喫できる休息地だった。
 しかし昭和の終わりには旅館も次々と姿を消した。最後まで営業を続けていた寿楽は地元の企業や町内会の宴会場として親しまれたが、いまは建物だけが残り、温泉街の名残をとどめている。
 弘法山も一時は夜景を楽しみながら愛を深めるアベックの聖地だったが、1974年に西部中学校が現在の場所に移転してからは周辺にあったモーテルも姿を消した。
【由本裕貴】
国府温泉の跡地に現存する旅館の建物=国府町山ノ入で
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