100年先見据え豊橋駅も変革を
7月29日午前11時、富山駅に到着。北陸新幹線の改札を出ると、広々とした空を見渡すことができる。豊橋市民として富山市で連想するのは、やはり路面電車、市電。目的地まで、市電に乗っていくことにする。
私の決め事として、旅先で行きたい場所がある時は、スマートフォンや案内板などに頼らずに、歩いている人に聞いて、誘導してもらいながら、世間話をすることにしている。その場所に日常がある人が何を感じ、何を思い、どう生きているのか。その延長線上に地元の特産、おいしいお店、旬の食べ物、地酒、面白い方言が出てくる。
早速3人組の高齢の女性に出くわした。2人はシルバーカーを押していて、1人はつえをついている。路面電車の富山駅への行き方をたずねると「ついておいで」と市電富山駅に案内をしていただいた。路面電車の富山駅は、駅ビルの中にある。南北に線路が駅ビルを突き抜けているイメージだ。乗り継ぎには傘をさす必要はなく、階段もない。
「3人でお昼ご飯食べて、今からお茶を飲みにいくの」。このシルバーカーとつえと共に生活するご婦人方は、駅周辺で買い物し、食事し、シルバーカーにストレスを感じることなく、バスに乗り、市電に乗り、電車に乗り、帰っていく。「バスにしようか、路面電車にしようか、選べるの便利よ」。3人のお年寄りの女性に便利と言わせる富山駅。なぜそう言わしめるのか、ひも解いてみる。
①階段を使わずに他の公共交通機関に乗り継ぎできる
「公共交通機関を乗り継ぐのに階段を使わなければいけない駅に人集まりますかね」。豊橋駅を利用した富山市の副市長経験者が私に発した言葉だ。階段を使うことなく公共交通機関を乗り継ぐことができる仕組みは欧州など世界の主要都市の駅の共通点として必ず上げられるそうだ。
確かに豊橋駅は、新幹線を含むJRと名鉄の改札が2階にある。そして地上に降りる。渥美線に乗り換えるにも、市電に乗るにも、バスに乗るにも、タクシーに乗るにもひとまず降りなければならない。自転車を止めたければさらに地下に降りる必要がある。富山市の女性3人組のランチとショッピングは豊橋では成立しなかったのだろう。
シルバーカーを押しながら歩くお年寄りが1基しかないエレベーターを待ち、上り下りしなければ他の電車や市電を使うことができない駅が果たしてベビーカーに、車椅子に優しい駅前か。SDGs(持続可能な開発目標)など高い次元の話をしているのではなく、利便性が悪ければ人の足は遠のき、ビジネスチャンスも減る。人口が減っている。生活様式が変わっている。自動車での移動が基本。それ以上の豊橋の駅前に人が集まらない最大の理由がこれではないか。
②太陽が当たり、スペースに余裕がある
富山駅を降りると、広々としたスペースがあり、空を見渡せる。市電、バス、タクシー乗り場、すべてが集約されている。そのスペースに置かれたベンチには幅広い世代の人が座っている。日照時間が短い地域だからこそ、空を見えるようにしたのかもしれない。田舎だから土地をふんだんに使えたのかもしれない。しかし、快適だ。
このような特徴は世界の主要都市の拠点となる駅も共通して有している。豊橋駅と同じ路面電車が走るオーストリアのウィーンの留学経験者によると、駅前は階段がなく、屋根などはなく太陽が注ぎ、花壇が造られ、あらゆる世代の人が座り、憩う。そこでコーヒーを飲み、食事をする人に向けて音楽家の卵が演奏を披露する。その雰囲気を味わいにまた人が集まる。その集まった人を狙ったビジネスがまた集まる。人が集まる好循環が生まれている。
十分なスペースと太陽が見えること。言い換えれば、単純に居心地が良い。そんな場所を提供できているということかもしれない。利便性の高い駅前に快適な場所があれば、ある意味、人が集うのは当たり前だ。富山駅は長い時間をかけて再開発に成功した。人口減少が豊橋よりも日本全体よりも早く進んでいて、高齢化率も高い。だからこそ抜本的な高齢化社会に向けた駅前の再開発に踏み切ることができたのだろう。
豊橋駅も東三河の拠点、プラットホームを標榜するならば、おじいちゃんおばあちゃん、赤ちゃんに優しい、そして人々が集いたくなるような快適なスペースがある駅前にしなければ、全国の地方都市と同じように、日本の平均的な高齢化率、人口減少率に合わせて衰退していく。何よりこの地方を訪れてくれる皆さまが、拠点と認識してくれない。現在の豊橋駅は、数十年間の意思決定が重なったものであり、一朝一夕にできるものではない。だからこそ、東三河の拠点として100年後も見なされる豊橋駅に向けて、待ったなしの第一歩が求められている。
(本紙客員編集委員・関健一郎)
駅を出てすぐのスペース。乗り継ぎ、買い物、全ての人間交差点となる
富山市中心部を走る路面電車。低床車両が多い