元日の能登半島地震からもうすぐ半年になる。現地では懸命の復興作業が続いているが、今も多くの人が支援を必要としている。東愛知新聞社は、被災者のために活動を続ける田原パシフィックロータリークラブと豊橋中ライオンズクラブに同行し、被災地の今を取材した。3回に分けてお伝えする。
物資を届ける田原パシフィックRCと有志
14~15日に石川県に入った田原パシフィックロータリークラブ(PRC)。鈴木美仁会長ら6人と「チーム渥美半島」として被災地支援をしている山本達弥さんで14日午前6時、田原市内からマイクロバスに乗って出発した。
最初の目的地は輪島市。金沢市を経由して西側から入るルートで、約6時間かかる。昼前に国道249号へ入ると、左手に日本海が広がった。
金沢市では伝統的な光沢のある黒瓦の屋根に、青いビニールシートがかけられている家が目立った。輪島市に近付くにつれ、より顕著になった。特に古い家は被害が大きく、1階が潰れているところも残っていた。まだこんな状態であることにショックを受けた。
車の揺れもひどかった。地震の影響で能登半島全体が隆起したり、沈んだりしたのだろう。あちらこちらで路面が割れていた。特にほとんどの橋の近くでは、壊れたつなぎ目を補修した跡があった。山の斜面や崖が崩落し、道路が埋まったり、崩れたりしているところも見た。
応急の道路や信号が整備されては「いるものの、工事は進んでいないところも多かった。重機はあるが、人がいない。
正午過ぎ、輪島市門前町の震災支援拠点「INSPIREBASE SunRise」に着いた。チーム渥美半島は月1回訪れて野菜などを届けている。その紹介で、代表の田谷武博さんに話を聞いた。
東日本大震災時に結成されたボランティア組織「RQ災害教育センター」が田谷さんの実家で協働し、ボランティアを受け入れている。これまでに延べ1000人。交代で10~20人が活動し、この地域の1000~1200人の家のがれきの撤去や掃除、田んぼの排水などを支援している。
すべて個人の持ち出しや寄付で賄っているという。5カ月で約600軒を修理した。公費での解体は、倒壊で道路がふさがれるなど緊急性の高い2件のみだった。
PRCは、キャベツやメロン、タマネギ、スイカなど計60箱のほか、米60㌔、パスタ200食、レトルトカレー280食、スポーツ飲料10箱などを届けた。田谷さんは「皆さんのおかげで楽しく復旧作業を続けられる。作業が終われば、その後は観光開発につなげたい」と夢を語った。
【岸侑輝】