課題山積、復興は道半ば
田原パシフィックロータリークラブ(PRC)と「チーム渥美半島」の山本達弥さんの7人は14日午後2時半、石川県輪島市役所に到着した。PRC会員有志の寄付や、会費から捻出した計100万円の浄財を贈った。その後、能登半島広域観光協会の中山智恵子さんの案内で視察した。
テレビで有名になった横倒しのビルの前を通り、大規模火災が起きた朝市に着いた。焼け落ちて崩れた建物などが生々しく残されていた。車やバイクは、焼けた金属の骨だけになっていた。公費解体は少しずつ進んでいるが、復興にはまだまだ時間がかかるという。
200~300軒が焼けた。昨年末、新年の料理に使う魚などを求めてる人でにぎわっていたという。
能登空港の隣では、復興事業者向けの宿泊所の整備が進んでいた。ビジネスホテルやカプセルホテルのような内装で、1部屋に1~4人が泊まれる。今月30日には追加で200人分が完成し、稼働分と合わせ346人が収容可能となる。
課題は多い。最寄りのコンビニまで車で20分。まとまって食事ができるところがない。雪対策で電熱線を取り付けなどの工事はしているが、冬を迎えなければ分からないことが多い。効率的な復興のためのインフラが足りていないと感じた。
七尾市のホテルで泊まり、15日はPRCの岡本卓三前会長が合流し、早朝から被害の大きかった珠洲市内を見て回った。瓦屋根を残して完全に潰れていたり、全体がゆがんでいたりする家が多かった。昼は七尾市に戻り「道の駅 能登食祭市場」を視察した。
毎年70万~80万人が来ていた観光地。液状化現象がひどく、一部店舗などが営業を土日曜だけにして再開したのが5月18日のことだという。
村本能久駅長は「震災前の2割、ゴールデンウイークには半分の人が来てくれた。ここから奥能登まで、少しでも元気を届けたい」と語った。
午後8時、田原市に戻った。PRCの鈴木美仁会長は「まだまだ大変な思いをしている人がたくさんいることが分かった。田原も南海トラフ地震などに備え、いざという時に助け合い、状況を把握できるようなコミュニティー作りを進めていくことが大切だ」などと語った。
【岸侑輝】