【連載】「剣理人倫 我外皆師」〈44〉「凌霜、道ハ一筋ナリ」

2025/06/07 00:00(公開)

 初夏そして6月になりました。1カ月たてば今年も半分終わります。年始に立てた計画どおりに進んでいますか?。まだ半年ありますので見違えるほどの変化や成長を見せるチャンスは十分にありますよ。

 

 先日講演で岐阜県郡上市に行きました。私は時間があれば必ずその地域の寺社仏閣や城址を見学するようにしています。歴史好きなのもありますがその街をよく知ることができるからです。どのようなモノやコトもネットなどの情報だけでなく、五感を生かすようにしています。

 

 そして御朱印集めが無意識に続いているのと気付いたら息子も収集を趣味にしていました。高速道路走行中、立派な天守閣を見ながらいつか行きたいと思っていた日本最古の木造再建城である郡上八幡城は昨夏見学しました。今回は城内松の丸にある凌霜(りょうそう)隊の碑に行きたくて事務方に案内してもらいました。

 

 明治維新の際、世の中が勤皇か佐幕の両論に揺れ動いていた頃、譜代大名家である郡上藩も容易に決めかねていました。しかし徳川家の恩顧に報いるため45名の藩士らが脱藩して凌霜隊を血盟、会津救援を決意しました。関東や東北戦線を転戦し、塩原や会津若松城では白虎隊と共に戦いました。隊員は会津降伏後、郡上へ護送され脱走者として収監され、戦死・行方不明を除く35名の者が許されて自由の身になったのは明治3年2月19日との事でした。

 

 あの動乱期は全国各地で悲劇がおこりましたが、ここでも義を重んじて行動したサムライたちがいたのかと説明を聞きながら熱くなりました。凌霜とは霜を凌いで咲く菊のような強固な操の信念を意味する言葉で、城近くの高校では校訓となっていますし探究の授業で学ぶそうです。剣道の縁でこのような機会をいただけて感謝するとともに、現代は「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角にこの世は住みにくい」という句もあるぐらいバランス感覚が大切ですが、150~60年前に愚か者や不器用者と笑われても損得でなく信じる一筋の道を歩んだ人たちがいたのを忘れてはいけないですね。

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