終戦80年の今年。東三河での戦争体験を3人に語ってもらう。
豊橋市西羽田町の羽田光江さん(87)が豊橋空襲を経験したのは7歳の頃。1945年6月19日深夜、母からたたき起こされた。目をこすりながら外に出ると、空は火事で真っ赤で多くの人が逃げ惑っていた。近くの空き地に着いた。足踏みミシンに水で濡らした布団を重ねた即席の防空壕に潜り込んだ。火の手が上がり、「逃げるのは手遅れだ。ここで死ぬ」と祖父。幼い耳に響いた声は今も鮮明だ。「死を覚悟した。どうしていいか分からなかった」と縮こまっていた。B29爆撃機が次々に焼夷弾を落としていく。「ゴー」という爆撃機の音が鳴り響き、「怖くて怖くて仕方なかった」と回想する。
火がもう数十㍍まで迫っている。祖父らが必死にバケツで水をまいても火が消えない。布団に火がつくと遠くへ投げ捨て、別の布団に取り替える繰り返しだった。ようやく敵機が去り、朝を迎えて外に出るとあたりは焼け野原。街の変わりように驚いたという。「生きている」と少しほっとした気がした。
20日夜、市内の親戚の家に身を寄せ、その後小坂井町へ。7月には長沢村に移り、知人の物置小屋を改造して住んだ。疎開先の長沢国民学校には数週間通い、返ってきた通信簿に涙が止まらなかった。勉強には自信があったのに、成績欄には機械的に並ぶ「良」の文字。3段階あるうちの真ん中の評価で「これは私の成績じゃない」と線を引き、母に見せるのをためらった。疎開で市街地から来た児童であふれかえり、通信簿や授業どころではなかったからだという。戦争が子どもたちの日常をどれほど変えたかを物語っていた。
羽田さんは長らく空襲の経験を話すのを避けていた。「思い出すとつらい」からだ。だが、約20年前から小学校での出前授業や図書館での語り部を始めた。「言わずにいたら戦争がもう一度起きてしまうのではないかと不安に駆られた」と語る。世界ではロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ紛争など、今も戦禍が後を絶たない。「戦争は不幸になるから絶対に駄目。日本は物資がない国ですからなおさら」と願った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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