スナップエンドウは、シンプルにゆでて塩やしょうゆをかけて食べるのが一般的だが、お薦めは天ぷらだ。その食感と甘さは、非常に人気が高い。
豊橋市東赤沢町で栽培されているスナップエンドウは、45年前に伊豆大島から豊橋南部農協に導入された。全国に先駆けて豊橋の農家が生産に着手し、そのうちの一軒が、代々農業を続けて六代目となる水野敏久さんだ。
それまで水野さんは、キャベツとともに絹さやとサトウエンドウを栽培していたが、スナップエンドウの魅力にひかれ、栽培を決意した。市内の4~5軒の農家とともに作り始めると、皆その育てやすさに驚いたという。例えば絹さやは、成長が早く毎日収穫が必要だ。しかし、採り頃の判断が難しく、朝に「まだ早い」と見送っても、仕事終わりにはちょうど良い大きさを過ぎてしまうこともしばしばだった。また、サトウエンドウは正月や節句時期には高値で取引されるが、普段は需要が少なく価格が安定しないという悩みがあった。
対してスナップエンドウは、手入れが比較的容易で作りやすかった。実が大きくなるまで10日ほどかかるため、その間数日作業を休んでも品質への影響はほとんどない。大きく成長してもさやが硬くならず、甘くて丸ごと食べられる満足感もあった。しかも、JA豊橋が協力して開拓した販路により、東京の百貨店へも出荷されるようになった。現在、農協の「さやえんどう部会」に所属する農家は108軒だが、そのうちスナップエンドウを生産するのは21軒にのぼる。生産者ごとに栽培へのこだわりがあり、収穫の出来を競い合える環境も面白いという。
特筆すべきは、「ブルーネス(輝彩S)」という優良な系統を見出し、生産につなげたことである。これを発見したのは農業指導員の河辺高明さんで、さやの色つや、粒の大きさが優れた突然変異の個体に着目して増殖させた。これを種苗登録し、豊橋の農家に優先して苗を販売してもらう体制を整えたのだ。現在は、農業法人化が進む九州地方が最大のライバルとなっている。
豊橋から田原にかけての渥美半島の農業は、豊川用水が通る以前の江戸時代から、でんぷん原料となるサツマイモや麦が中心だった。米作りは、ため池周辺の小さな水田で行われる程度で、明治期に松原用水や牟呂用水などの整備に尽力したものの、干ばつの被害は絶えなかった。
戦後まもない1949年、国営事業として豊川用水の建設工事が始まり、61年には愛知用水公団に事業が引き継がれ、水の安定確保が実現した。設備の進歩も目覚ましく、今やハウス内には散水パイプだけでなく、マイコン制御の暖房機も設置されている。かつてのように夜中の冷え込みを心配してハウスへ点火しに行く手間はなく、今は自宅でスマートフォンを使って温度を確認し、気温が下がれば自動で点火する仕組みだ。この恩恵を受け、5月から8月はメロンを栽培し、それ以外の期間は年間を通じてスナップエンドウを作るというサイクルが可能になった。
水野家は江戸時代末期の六代前に、本家から「隠居(分家)」として独立した。豊橋や田原の農家は十代ほど続く家が多く、神道であっても寺の過去帳に記録が残っていることも珍しくない。新家(しんや)とはいえ、水野さんも六代目の重みを感じている。水野さんは「一昔前の農家の嫁は本当に苦労した」と振り返る。重いタンクを担いでの農薬散布や、広い田畑でのホース引きなど、過酷な労働の後に家事育児が待っていた。
現在はトラクターやコンバイン、播種機、肥料散布機といった機械化が進み、スイッチ一つで操作できるようになった。出荷の最盛期にはパートを雇用するため、以前ほど時間に追われることもなく、旅行や孫の世話に出かける余裕も生まれたという。
「これからも家族みんなで農業を続けていこう」。そう願いながら、水野さんは今日も懸命に土と向き合っている。
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