雨不足が続く東三河各地には、かつて深刻な水不足に苦しんだ先人たちが、すがる思いで祈りを捧げた「雨乞い」ゆかりの地が今も点在する。地域を支える宇連ダム(新城市)の貯水率は依然として予断を許さない。今も地元で語り継がれる雨乞いの伝説をたどった。
豊川用水への依存率100%の蒲郡市は、大きな河川がなく古くから水不足に悩まされてきた。1994年の渇水時には、市民らが聖山や八百富神社で雨乞いを行った記録が残る。
その一つ、同市拾石町の大巌神社には、社殿裏に「雨乞い岩」と呼ばれる巨石がある。「塩津村誌」によると、江戸時代の寛永年間(1624~43年)の大干ばつ時、伝承に従い酒で岩を洗い餅でこすって雨乞いをしたという。
しかし、この時は大雷雨が起き堤防が決壊したため、以後、岩を洗うことが禁じられた。約200年後の1852年、再び岩を洗う決議をした夜、ある村民の夢に神が現れ、過去の不敬を諭したとされる。そこで総代14人が三日三晩、身を清めて祈願したところ、待望の雨が降り、豊作に恵まれたとしている。
同じく雨に縁深いのが、隣接する豊川市赤坂町の宮道天神社。毎年8月下旬に開かれる「雨乞いまつり」は、華やかな大名行列で知られる夏の風物詩だが、その由来は延宝年間(1673~81年)までさかのぼる。
干ばつの折、神官の金澤惣右衛門が宮路山頂の奥宮で「百万遍の大念仏」を唱え降雨を祈願したところ、たちまち恵みの雨が降り始めたが、惣右衛門はその後の暴風雨で命を落としたと伝えられる。
この出来事から、雨が降った旧暦7月20日前後を祭礼日と定めた。今も「祭りの後には必ず雨が降る」といわれ、社務所管理者は「周囲が晴れていても、この地区だけ夜中に局所的に降ることもある」と語る。
同神社には「宮水」と呼ばれる湧き水があり、古くから水と縁が深い。昨今の水不足を受けて参拝に訪れる人もいる。数週間前には名古屋市から洗車業務につく若者が「水不足が切実で」と願掛けに訪れ、数日前にも「東三河に雨を」と岡崎市民がお供えを持参した。
管理者は「今も雨を願い、奥宮まで足を運んでいる人がいるかもしれませんね」と話す。
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愛知県豊橋市生まれ。大学卒業後、校閲記者として入社。1年後に報道記者に転身した。2020年から報道部長。芸術、福祉、経済・奉仕団体などを担当する。趣味は、かなりジャンルに偏りのある読書と音楽鑑賞。思考のそっくりな一人娘と趣味を共有している。
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