カネトの功績を伝える豊川一宮西部小の演劇
豊川市一宮町の一宮西部小学校(柴田斉子校長)では、学校のすぐ隣を飯田線が走る。その飯田線にまつわる偉人伝を演劇で再現し、人権について学ぶ機会があった。
総合的な学習の発表の場として、毎年11月に開く「もちの木まつり」。昨年、当時の6年生たちに学年主任の佐々木孝治教諭が飯田線の測量に尽力したアイヌ民族の川村カネトを紹介したところ、子どもたちが強い関心を示し、カネトの功績を劇で演じようと企画した。
児童らは図書室の本でカネトの半生を研究し、台本を作り、オーディションで配役を決め、稽古を積んだ。全校生徒や父母らも前に発表した演劇「飯田線をつなげたアイヌの魂」では、カネトが沿線住民から人種差別を受けながら測量作業に取り組む姿を40分にわたって再現。カネトが作業員にバットで殴られ、穴に突き落とされるシーンなども熱演した。
飯田線開通の立役者となったカネトの世界を表現し、差別やいじめなどの人権のあり方に向き合った子どもたちからは「カネトは差別に遭いながらも差別をしている人たちの生活を思い、飯田線を一生懸命つなげてくれた」「劇でカネトの存在や思いを伝えることができた。今までとは違った気持ちで飯田線の走る音を聞いている」といった意見が聞かれた。
柴田校長は「高校生、大学生になれば多くの子が飯田線を利用する。常にそばを走る電車に、実はこんな話があったことを迫力ある演技で後輩たちに伝えてくれた」と話す。特別支援学級の児童も含め、沿線の駅名を暗記している子も多いという。飯田線が立派な“教材”となっている。
(由本裕貴)
◆川村カネト◆ 1893(明治26)~1977(昭和52)年。旧国鉄の測量技手として北海道各地の線路工事の測量に携わる。飯田線の前身となる信州方面の路線を運営していた三信鉄道から頼まれ、天竜川や渓谷などの難所で引き受け手がなかった三河川合~天竜峡の測量を同じアイヌ民族の測量隊を率いて成功させた。これが現在の豊橋~辰野の全線開通につながった。北海道旭川市には自ら館長も務めた川村カネトアイヌ記念館がある。