宮城県石巻市で東日本大震災からの復興に取り組む団体や被災者らを招いた交流会が31日、豊橋市内であった。被災地支援を続ける豊橋市内の団体が、食材と伝統文化の手筒花火などで歓迎。あれから7年、被災地の現状を伝え、被災者の気持ちに寄り添い続けることでともに復興へと歩む誓いを新たにした。
交流会は、市内で現地との交流を続けてきた市民団体らからなる「豊橋&石巻ええじゃないか交流実行委員会」(大場雅之委員長)が主催し、2015(平成27)年の石巻市での手筒花火放揚に次ぐ2回目。
石巻市側からは、川の上地区で新しいコミュニティーづくりをする市民団体「石巻・川の上プロジェクト」の三浦信行理事長ら8人が訪れた。
市役所であった報告会では、同プロジェクト運営委員長の三浦秀之さんがコミュニティーの価値に注目し、集団移転が進む中で新旧の住民が親睦を深める場を創生する意義や課題について説明。続く意見交換会では、豊橋市被災地派遣職員や、宮城県出身のエフエム豊橋パーソナリティー前川みどりさんが活動報告をしたほか、現地支援を続ける豊橋日独協会の会員で専用工作機械メーカー「西島」(豊橋市)社長の西島豊さん(38)が「これからは経済復興が必要になる。お金を落とし雇用を生み、経済を回すのが何よりの支援」と話した。
夜のグルメ交流会には、石巻、豊橋の両市から約60人が参加し、石巻市特産の牡蠣(かき)と伊良湖で獲れた魚介類などを肴(さかな)に親睦を深めた。
会場では、西島の先代社長西島篤師さん(享年63歳)が生前、被災地の子どもたちの支援に取り組んだ自治体の一つで元東松山市教育長の木村民男さん(70)と豊さんの2人が、支援が生んだ絆を温めた。
木村さんは「篤師さんは一過性ではなく、毎月来てくれた。被災地に寄り添う柔らかな対応で、一人ひとりを大事にする人だった」と人柄を振り返ると、「目の前にいる子どもたちを助けたいという思いで、父は命が尽きるまで東北とともにいた」と豊さん。引き継いだ現地支援も7月で60回を迎える。木村さんは「きょうが一つのスタートかもしれません」。「終わり」という言葉が嫌いだったという篤師さんの後ろ姿を追い、2人は続く交流に思いをはせた。
この日、石巻市側へお土産として、豊橋市石巻地区の特産品次郎柿のフライチップス「百年の片鱗(かけら)」が贈られた。
開発した「百年柿園ベル・ファーム」(同市石巻小野田町)の鈴木義弘さん(46)が、石巻市へ次郎柿を贈る「復興お絵柿プロジェクト」に参加している縁で実現した。
チップスはサクサクの軽やかな食感。減圧低温で皮さら揚げており、カロチンなどの栄養素と色鮮やかなオレンジ色がそのまま残る。使用するのは遅くにとれる完熟の甘い柿で、規格外品を活用した。
構想から1年、鈴木さんは「旬以外でも手軽に柿が食べられる。豊橋市民にはお土産としても使ってほしい」と話す。
1日から、市内の豊市(トヨイチ)「マルシェ&カフェ ハナヤサイ」などで扱い、1袋500円(税抜)。限定1000袋で販売している。
(飯塚雪)
サクサクの食感などが特徴の次郎柿のフライチップス=豊橋市内で