豊橋空襲の開始時刻 「19日午後11時40分説」が有力

2018/06/27 00:00(公開)
 1945(昭和20)年6月、624人の死者が出た豊橋空襲で、二つの説がある空襲開始時刻について米軍公式記録の「20日午前0時58分」説が誤りだったことが、豊橋市図書館の調査で分かった。被災者らの証言に基づく「19日午後11時40分説」の可能性が高まった。
 市図書館は、7月7日から市中央図書館で始める戦時中の家族の姿などを紹介する「平和を求めて とよはし」展の取材で、豊橋空襲当日に乗務していた列車の元国鉄機関助士・川端新二さん(89)=春日井市在住=から証言を得て、当時の時刻表などから突き止めた。
 図書館によると、当時、川端さんは東海道線の大阪発東京行きの夜行列車に乗務。豊橋駅に停車した際、駅の助役が走って来て「発車時間まであと2分あるが、間もなく空襲が始まる。今すぐ発車してくれ」と大声で叫び、列車は発車した。渥美鉄道(現・渥美線)のガード下で振り返ると、豊橋駅方面は火の海になっていたという。15両編成、乗客約1000人の命が救われた。
 「列車はダイヤ通り運行されていた」と言い、時刻表では豊橋駅到着が午前0時2分、発車時間は同0時5分。だが、列車は助役の言葉を受けて定刻より早い0時3分に発車したことになる。
 「豊橋駅勢要覧」には午前0時5分頃には空襲が行われていたとの記載があり、川端さんの証言とも一致。米軍公式記録の「作戦任務報告書」にある0時58分は誤りとなる。
 空襲開始時刻については、正確な時間が分かる記録がなく、被災者らの証言から19日午後11時40分とされている。「豊橋市政80年史」は11時40分頃、「豊橋市戦災復興誌」は11時43分に20日説も併記している。
 終了時間に関しては、同復興誌が20日午前3時15分、同報告書は3時17分とし、ほぼ同時刻となっている。
 市図書館は、展示会で時刻表を展示するほか、7月29日午後には会場に川端さんらを迎え、発表・座談会「語ろう わたしたち・おれたちの戦争」を開催する。
(中村晋也)
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