豊川海軍工廠への空襲 市田地区の被爆地図を作成

2018/07/03 00:01(公開)
市田地区被爆地図を作った(左から)寺部さん、早川さん、牧野さん、野本さん=豊川海軍工廠平和公園で
 豊川市市田地区の住民グループが、73年前の米軍による豊川海軍工廠(しょう)への空襲で爆弾投下地点を記した市田地区の地図を作成した。
 語り継ぎボランティア野本弘幸さん(82)の提案で、地区内在住者で当時八南国民学校(現八南小学生)に通っていた牧野勝男さん(84)、早川嘉喜知さん(82)、寺部康夫さん(82)らが制作に協力。2発の爆弾で同町山鳥の自宅が被害を受けた寺部さんらの記憶と、3月から行った近隣住民への聞き取り調査を基に、工廠の西側に広がる市田地区の地図にB29爆撃機2機の爆弾による52の着弾ポイントを記した。
 陸上自衛隊豊川駐屯地が保管する空襲後の航空写真には地区の一部しか写っておらず、豊川市史が掲載する写真でも明確でないため、特に地区内を南北に流れる白川の西側に絞った。野本さんは「市田や諏訪の被害に関する記録はほとんど残っていない。当事者がその気にならないと後世に伝わらないと思った」と取り組みの趣旨を説明した。今後は諏訪地区でも同様の調査を行う。
 空襲では、八南国民学校の児童22人も犠牲になった。この日、八南小の6年104人が豊川海軍工廠平和公園を訪れ、メンバーが「勉強に生かしてほしい」と地図を贈呈した。志賀未来さん(12)は「身近で起きた悲惨さが伝わってきた。これからの学習に生かしたい」と話した。
(由本裕貴)
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