赤坂宿ヒストリー 甦る大橋屋④

2019/04/27 00:00(公開)
俵の中から見つかったお札やお守りも展示される=大橋屋で
防火を祈るお札やお守り

 大橋屋は文化6(1809)年、33件が焼失した赤坂宿大火以降に建てられたとされる。解体を伴う保存整備工事では、当時の出来事や風習などを示す数々の痕跡や史料が見つかった。東壁面では、大正10(1921)年の火災で焼けたと思われる部材で、表面が炭状となったまま100年近くも使われていた柱が確認された。
 木造家屋が立ち並ぶ宿場町ではたびたび火事が起き、人々は火災予防を祈った。吹き抜け最上部の梁(はり)に6個の俵が置かれているのが見つかり、中から江戸から昭和前期までのお札やお守りなど約1600枚が出てきた。火除けで知られる遠州秋葉山のお札が最も多く、200枚を超える札が束ねられたものもあった。伊勢神宮や津島神社の札は、江戸時代に祈とうや参詣の宿泊などを世話する御師(おんし)の活動を裏付ける。近隣にある杉森八幡社や宮道天神社や、豊川稲荷の大吉おみくじもあった。
 慶応3(1867)年、牟呂(豊橋)から広がった「ええじゃないか」騒動では赤坂宿でもお札降りがあり、大橋屋でも光明寺御守秋葉山のお札が降り、人々が手踊りをした。
(由本裕貴)
大正10年の火災の痕跡とされる炭状となった柱=同
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