赤坂宿ヒストリー 甦る大橋屋⑤

2019/04/28 00:00(公開)
復元された旧道から代官所跡地への通路=大橋屋西側で
赤坂代官所も復元

 大橋屋の南西側にはかつて、三河国の幕府領地(天領)の大半を支配していた赤坂代官所があった。慶応元年(1865)年の町並図には東海道から代官所へ出入りするための通路が描かれており、今回の整備工事に合わせて復元された。
 当初、代官所は天和3(1683)年に大藪地内(現よらまい館東側)に設置され、元禄2(1689)年に正法寺と浄泉寺の間、現在は赤坂保育園がある場所に移された。その後、代官所の統合で遠江国中泉(静岡県磐田市)代官所配下の赤坂出張陣屋となった。元禄2年の「陣屋之図」では建物の西側に門があり、当初は正法寺の参道を通って出入りしていたと推測できる。
 大橋屋の西隣には脇本陣「輪違屋」があり、大名や公家向けの本陣で宿泊が重なった時に利用された。「東海道宿村大概帳」によると、天保14(1843)年には赤坂宿の本陣は3軒で、脇本陣は1軒。大橋屋などの旅籠(はたご)は大小合わせて62軒あり、総人口は1304人だった。
(由本裕貴)
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