「ひふみん」の愛称で全国的な人気を博した将棋の元名人、加藤一二三九段が22日、肺炎のため死去した。86歳だった。訃報を受け、数々の名勝負の舞台となった蒲郡市の老舗旅館「銀波荘」では、当時を知る関係者が希代の棋士との別れを惜しんだ。
加藤九段は銀波荘で計4回のタイトル戦に臨み、3勝1敗。そのすべてに立ち会った大浦武夫会長(94)は「訃報を目にし、まだお若いという印象。言葉に言い表せないほど残念で寂しい」と肩を落とした。
語り草となっているのが、1967年2月の第16期王将戦第3局だ。当時、大山康晴王将に6連敗中だった加藤九段にとって正念場の一局。対局2日目、長考中の加藤九段のかたわらで突然「パシッ」と音が響き、香車が跳ね上がった。乾燥で盤面に大きな亀裂が入っていたという。
大浦会長は「前年に新調した盤だったが、湿気対策で掃除した際にろうを拭き取ってしまった。暖房による乾燥が重なり、ひびが入った」と振り返る。駒が飛び散る事態となったが、大山王将が即座に大阪の碁盤店へ連絡する機転を利かせ、夕方には代わりの盤が到着。加藤九段はこの一局を快勝して連敗を止め、後に「思い出深い一局」と述懐している。この盤は今も現役で使われている。一方、割れた盤も三十数年かけて修復され、館内に大切に保管されている。
銀波荘が対局場となったのは65年。当時の主催の担当者が静かな環境を求め、地元商工会議所の推薦で選ばれた。安藤壽子専務は「全館貸し切りにして一生懸命おもてなしをしたところ、大変気に入っていただけたと聞いている」と話す。
館内の廊下「将棋ロード」には、大山十五世名人、羽生善治九段、谷川浩司十七世名人ら名だたる棋士の色紙や、若かりし頃の対局写真、記録パネルなどが数十㍍にわたり展示されている。加藤九段が大山王将と釣りを楽しんだり、真剣な表情で盤に向かったりする様子を見ることができる。また、現在は企業オフィスとして使用される一室には、加藤九段が揮毫(きごう)した「練達」の文字が飾られている。安藤専務は「独特で味のある書体に、背筋が伸びる思い。先生が後年まで思い出の地として当館を挙げてくださっていたことが、何よりありがたい」と感謝した。
購読残数: / 本
1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
週間ランキング
日付で探す