1945(昭和20)年6月に豊橋市を襲った「豊橋空襲」。現存する資料を分析し、その計画や実行の様子、被害など全容を詳細につづった書籍「令和に語り継ぐ 豊橋空襲」が発刊された。空襲後の様子を伝える白黒写真をAI(人工知能技術)でカラー化し、初めて分かった新事実などを収めた貴重な1冊だ。
著者は、市図書館に勤務する岩瀬彰利さん(56)。自宅付近が空襲の爆撃中心点となって焼失、親族が亡くなった空襲の被害者子孫として、その歴史的事実をまとめたいと発刊に踏み切った。
幼少時は広小路に住み、祖父から戦前の街並みや自分の家周辺が焦土化したことを聞いていた。2012年に図書館の恒例企画展「平和をもとめて」に携わったことを機に、豊橋空襲についての調査に熱を入れ始めた。4年前には戦前の街並みを地図や写真、コラムで紹介する「戦前の豊橋~豊橋空襲で消えた街並み」も出版している。
2年半前、地元の小学校で豊橋空襲を題材に6年生に講演をした際、空襲を知っている児童がほとんどいなかったことから、子どもにも分かるような本をと企画。一昨年から準備を進め、自身の研究の集大成として今回の発刊を迎えた。
全7章で構成。その巻頭を飾るのが「最新豊橋市街地図」(1944年)を下図に「日本戦災地図」や空襲直後に米軍が撮影した上空写真を基に作成した「豊橋市街地空襲被害範囲図」と、1枚のカラー写真だ。
豊橋空襲を物語る写真の中でも特に有名な1枚は札木町で撮影された。オリジナルはモノクロだ。
「これでは昔のことだ、と身近に感じられない」と、岩瀬さんは白黒写真のカラー化に取り組む研究者に依頼、「AIを用いた自動色付け」でカラー化してもらった写真の色情報を基に、自身で色鉛筆など使い手作業で着色した。
この結果、写真中央に立つ女性は、右手の肘先が無く、左手は手首から手の甲にかけて包帯が巻かれていることがカラー化して初めて分かった。また、空襲に耐え「戦後復興のシンボル」とされる額ビル(現在のカリオンビル)は、窓ガラスが無く、建物の外壁上部が黒ずんでいる。内部は焼けて外側だけが残ったことがなど、いくつかの新事実が判明した。
本文では、軍都豊橋の成立から終戦までのあゆみを、分かりやすい文体で記述している。米軍の資料から読み解いた攻撃の詳細や、豊橋空襲が計22回以上実施されたこと、市街を地区ごとに分けての空襲被害のまとめなどを紹介した。
「父親が一昨年に亡くなったことも本を出すきっかけの一つ」と岩瀬さん。「小学校高学年以上が分かるように書いた。多くの人に豊橋空襲を知ってもらえたら」と話す。同書は2000冊出版。A5判、128㌻で900円(税別)。印税を放棄し価格を抑えたという。豊川堂や精文館書店、三省堂書店高島屋店、丸善本店、ジュンク堂などで取り扱い中。
(田中博子)