豊橋初の日本考古学協会員 芳賀さんをしのぶ

2020/05/06 00:00(公開)
「東三河の考古学―芳賀陽先生追悼論集」を刊行した小畑さん=東愛知新聞社で
「東三河の考古学―芳賀陽先生追悼論集」を刊行した小畑さん=東愛知新聞社で
 「東三河の考古学―芳賀陽(あきら)先生追悼論集」を刊行した東三河の考古学刊行会代表の小畑頼孝さん(66)が東愛知新聞社を訪れ、思いを語った。
 小畑さんは、豊橋生まれ。豊橋市立牟呂小5年の時に祖父に連れられて東三河遺跡保存会の会合に参加したのがこの道に入ったきっかけ。その後、主に東三河地方の遺跡研究などを続けてきた。今回の追悼論集を共に刊行した森田勝三さん(65)、石川明弘さん(61)とは、小学生の頃から知り合いで、恩師の芳賀陽さんの下で発掘調査を続けた仲間。現在は3人とも日本考古学協会員として活躍している。
 芳賀陽さんは、1931(昭和6)年豊橋市西高師町生まれ。県立時習館高校、愛知大学を卒業し、県内中学校の教諭を務めた。高校・大学時代は、瓜郷遺跡、大蚊里貝塚、伊川津貝塚、吉胡貝塚などの学史上著名な発掘調査に参加した。教員時代は、知多半島の遺跡調査のほか、東海道新幹線や豊川用水、東名高速道路建設に伴う調査に携わり、36歳で豊橋市初の日本考古学協会員となった。
 追悼論集には、芳賀さんの業績年譜と有志15人による東三河の縄文時代から江戸時代までの研究文や追悼文が収められている。
 小畑さんは「東三河を中心とした考古学と文化財保存に貢献された芳賀陽先生の業績を広く皆さまに知っていただけるとうれしいです」と話した。
 送料込みで1冊2000円。購入希望者は、はがきに「購入希望」と書いた上、郵便番号、住所、氏名、電話番号を明記し、〒441―8033 豊橋市東脇一丁目23―4 森田勝三さん(電話0532・32・5062)まで。(小島幸子)
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