望月喜平治の偉業を知って 頌徳碑周辺を新城の有志が整備

2020/06/20 00:00(公開)
望月喜平治の頌徳碑と金原さん㊨、稲垣さん=新城市長篠で
望月喜平治の頌徳碑と金原さん㊨、稲垣さん=新城市長篠で
 新城市長篠から川合までの約14㌔の道「望月街道」を巨額な私財を投じて開いた望月喜平治(1822~93年)の頌徳碑(しょうとくひ)が、長篠地内にある。この碑を多くの人に見てもらいたいと、地域住民が周辺を整備した。
 1877(明治10)年から9年の歳月をかけて開設され、地域の繁栄をもたらした。岩山に道を開く難工事だったと伝わる。喜平治の偉業を後世に伝えようと道が完成した1886年に頌徳碑が建てられた。
 喜平治の生まれた望月家は、江戸時代に豊川の舟運の隆盛とともに屋号を久保屋として長篠で商売を始め、豊川流域屈指の豪商となった。吉田藩主から「久保屋が米を止めたら、吉田の息が止まる」とまで言わせるほど影響力があったという。喜平治は商人としての才覚があり久保屋を大きく成長させただけでなく、地域のために街道を切り開いた。
 近年は地域住民でもその偉業を知らない人がいる。多くの人たちに足を運んでもらおうと、頌徳碑が建つ土地を所有している伸東電装社長の金原利幸さん(64)と、隣接する稲垣建築店の稲垣泰行さん(70)が協力して整備した。
 碑まで行きやすくなるように石段を造ったほか、草木を刈り取った。さらに望月街道や喜平治を紹介する看板を設置した。ベンチを設け、地域住民の憩いの場になるよう配慮した。
 金原さん、稲垣さんは「望月喜平治は素晴らしい地域の偉人。多くの人に知ってほしい」と話す。問い合わせは伸東電装(0536・32・2092)へ。
【竹下貴信】
整備された石段
整備された石段
今も使われている望月街道のトンネル
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