「ありがとう」が原動力に 南三陸町派遣の豊橋市職員

2021/03/11 00:03(公開)
南三陸町の被災農地を視察する川上さん(中央)=いずれも2018年(提供)
南三陸町の被災農地を視察する川上さん(中央)=いずれも2018年(提供)
 東日本大震災の発生から11日で10年。この間、多くの人が被災地の復興支援に携わった。豊橋市も長短延べ236人の職員を派遣した。巨大地震と津波の惨劇に焦点が集まった当初から、人々の心にも余裕が見え始めた7年目に赴いた若手職員に話を聞いた。派遣前後で心境はどう変わったか。
 防災危機管理課の川上貴寛さん(29)は入庁4年目の2017年度から2年間、宮城県南三陸町に派遣された。初年度は建設課で仮設住宅から災害復興住宅への入居手続きを担った。
 役場周辺ではスーパーや商店街が次々とできる様子が分かった。希望に満ちた復興への歩みを実感する一方、違和感を抱くこともあった。
 家賃がかかる復興住宅への転居を拒む被災者が一定数いるのも見た。事務処理ミスから、前年度までの家賃過剰収納も発覚。復興現場の混乱も目の当たりにした。復興の歩みにも個人差があり、道半ばということを再認識した。
 「多くの自治体から職員が集まる。仕事量が膨大で引継ぎは数日間」と慌ただしい現場の様子を語った。
 それでも、被災者の感謝の言葉が、働く意欲の源となった。人口約1万3000人の小さな町だ。印象深かったのは住民との距離の近さだという。
 「知らない土地で不安もあったが、窓口で掛けられる『ありがとう』が働く原動力だった。37万都市の豊橋では容易に得られない感覚」とうれしそうに振り返った。
 復興住宅へ転居した高齢女性からもらった感謝の手紙を今も大切に保管している。公共の奉仕者としての大きな宝物になった。
【加藤広宣】
町民や現地職員らとも多くの交流が生まれた
町民や現地職員らとも多くの交流が生まれた
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