「畠村萬附留日記」が田原市の有形文化財に

2022/02/24 00:00(公開)
明治元年分の日記を手にする天野副館長=田原市博物館で
明治元年分の日記を手にする天野副館長=田原市博物館で
 江戸中期から明治前期(1690~1889年)ごろの畠村(田原市福江町)であった出来事を書きとめた「畠村萬附留(よろずつけとめ)日記」が、田原市の有形文化財古文書として指定を受けた。17日付。市博物館の天野敏規副館長は「支配される側の視点で書かれた数少ない貴重な資料」と語る。
一部落丁や破損、紛失があるものの、1916年分までが存在している。1975年頃に渥美町史編さんのため資料を集めた際に見つかり、合併の際に田原市に寄贈された。
 今回、日記の状態をまとめた調書が完成したことで指定を受けた。103点、計1万㌻以上が指定の範囲。
 日記の題字は「萬附留日記」「卯年日記帳」「御用向萬附留帳」など一定しない時があるが、おおよそ1年1冊ずつで、書き手は毎年異なる。日記担当が200年以上引き継がれてきた。
 日付と天気のほか、村やその周辺で起こった出来事を簡潔にまとめたもの。祭り、地震や台風など災害などさまざま。潮音寺や観音寺、畠村宮(現畠村神社)、角上(現角上楼)、井筒(現井筒楼)といった施設が集会所として使われたこと、秋葉社の祭礼が見物人でにぎわったことなども書かれている。
 明治期では、鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府方の兵が村に逃れてきて一泊していったことが書かれている。1886年6月のコレラ禍も。
 今後、誰でも読めるよう活字化する。天野副館長は「日記の研究を通して一般の暮らしの様子をはじめ、さまざまなことがさらに判明するのでは」と話している。
【岸侑輝】
1886年6月20日の記述にはコレラの文字が見える
1886年6月20日の記述にはコレラの文字が見える
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