フェニックス・牛尾新社長インタビュー

2022/09/07 00:00(公開)
牛尾社長
100年先の笑顔見据えて

 男子プロバスケットボール、Bリーグに所属する地元の三遠ネオフェニックスを運営するフェニックスの社長に今年6月に就任した牛尾信介社長から話を聞いた。聞き手は本紙客員編集委員、関健一郎。

 -新しいシーズンを前に、率直な抱負を。
 ◆58年のクラブの歴史がある。その重みを感じているし、OSG(かつてはOSGフェニックス)が続けてきた地元への貢献。この姿勢を踏襲して行きたい。そしてOSGと同じように日本から世界に。三遠ネオフェニックスのプレーを見て大きくなった子どもたちがネオフェニックスでプレーし、そして、NBA(米プロバスケットボールリーグ。世界最高峰)に羽ばたくことができる仕組みを作りたい。
 そこでまず理念を「100年先の笑顔のために」とした。これは言い換えれば、今のこどもたちの笑顔のためにということだ。たくさんの子どもたちが試合会場に集まるような、今日明日の観客動員数にこだわるよりも、未来を考えて成長戦略を描く企業にしたい。
 -具体的にはどういう運営を。
 ◆少子高齢化で、とりわけ地方都市は人口が増えていくわけではないし、子どもが増えていくわけでもない。にもかかわらず、他のスポーツと奪い合っているのは良くない。子どもたちも野球とサッカー、野球とバスケ、バスケとサッカーのようにいろいろやっていい。バスケットボールを最も大切なコンテンツに位置付けているのは変わりませんが、野球もマラソンも、いろんなことをできる会社になりたい。
 -部活がなくなる。豊橋だけでなく日本全国、子どもの運動する場所がなくなる。親に時間とお金がなければ家でゲームをするか、端末で動画を見ているしかなくなる。プロバスケットボールチームが、地方都市において子どもの体を動かす場所の一つを提供できるのではないか。
 ◆部活が無くなっていく中で、子どもたちがスポーツを通していろいろなことを学ぶ場所を提供できたらうれしい。ゲームだけでなく、練習を公開したり、学校を訪問したりして、学校教育以外の部分で、子どもたちにいろいろなことを教えてあげられる環境づくりをしたい。
 -バスケもある程度強くなければ観客は集まらないのでは。
 ◆抜本的な入れ替えをした。大野ヘッドコーチをはじめ、千葉ジェッツを優勝に導いたコーチ9人を引き抜いた。選手も、東京オリンピック代表でもある金丸選手を筆頭に、戦力の増強に成功した。
 -日本におけるバスケットボール、そしてこの経済情勢でスポンサーはなかなか集めづらい。対策は。
 ◆スポンサーという言葉を私たちは使わない。「パートナーシップ」に変えた。企業の広告について「企業の名前出しますからお金ください」だけではいけない。パートナー企業にとって、三遠ネオフェニックスに協賛することで、若い人の採用や社員の福利厚生、それに社会貢献など、多面的に役立つ仕組みにしていきたい。

編集後記

 NHK記者時代の約20年前、日本代表やリーグトップレベルの選手が並び、常勝チームだったOSGフェニックスを取材したことがある。伝説の名将、中村和雄監督がとても恐くて(タイミングが悪いと選手以外も怒鳴られた)、膝がガクガクしながら取材前に質問を暗記して臨んだことを覚えている。高校時代をバスケットボールに捧げた筆者にとって、月刊バスケットという雑誌の表紙を飾るような選手たちと話ができるのは夢のようだった。当時、選手たちと取材後にともに食事に行った時も、チームの優勝のために何ができるか、自分が将来どんな活躍を夢見ているか、熱弁していた。
 そんなスター選手が、コートに立てば、外に出そうなボールをがむしゃらに追いかけ、観客席に飛び込み、相手ボールになったことがわかると悔しくてコートをたたきながらプレーに戻っていく。勝負のかかった大一番。普段おとなしい選手が、自分よりはるかに大きい黒人選手につかみかかり、味方選手が取りなすまで興奮状態が収まらない。勝利への異常な執念に、目頭が熱くなったのを今でも覚えている。
 今までとは違う新たな三遠ネオフェニックス。もう一度あの熱量を取り戻すことができるのか。牛尾新体制に期待を込め、選手の情熱あふれるプレーを見に、仲間を誘って、試合会場に足を運ぼう!
新しいユニフォームを披露するネオフェニックスの選手=ホテルアークリッシュ豊橋で
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