伝統と革新 豊橋の和菓子文化 6月16日は「和菓子の日」

2026/06/11 00:00(公開)
絹与
絹与

江戸からの歴史を守りつつ進化

 6月16日は「和菓子の日」。その起源は平安時代にまでさかのぼり、疫病を払い健康と招福を願う切実な祈りが込められた日だ。

 始まりは848年の夏。当時、国内では疫病が猛威を振るっていた。時の仁明天皇は、神託を受けて元号をめでたい意味を持つ「嘉祥」へと改めた。そして6月16日に、16という数字にちなんだ菓子や餅を神前に供え、疫病退散と国民の健康を祈願した。「嘉祥の祝」という行事の始まりだ。

 室町時代から江戸時代にかけて、武家や庶民の間に深く定着していった。江戸時代には幕府の重要な年中行事となり、6月16日には将軍が江戸城の大広間に膨大な和菓子を並べ、大名や旗本たちに与えたという記録が残る。また、民間でもこの日に16文で16個の菓子や餅を買い、それを無言で食べると病気にかからないという風習が広く親しまれた。

 明治時代以降、洋菓子の普及や生活様式の激変によって、この習慣は徐々に人々の記憶から薄れていった。しかし、日本が世界に誇る素晴らしい伝統文化を後世に残そうという動きが活発化し、1979年に全国和菓子協会が6月16日を「和菓子の日」として制定し、現代に復活させた。

 豊橋市は、東海道の要衝「吉田宿」として栄え、独自の和菓子文化を発展させてきた。特徴は、江戸時代から続く伝統の継承と、柔軟な革新性の融合にある。

 豊橋の和菓子の歴史は、江戸時代中期までさかのぼる。旧東海道沿いに位置する「御菓子所 絹与(きぬよ)」は1734(享保19)年創業。市内現存最古の老舗の一つだ。吉田藩から製糖を命じられ、参勤交代で往来する大名への献上菓子を手掛けていた。

 また、嘉永年間(1848~53年)に創業した「若松園」は、昭和初期の天皇陛下御即位の折に「ゆたかおこし」を献上菓子として創製した。現在も豊橋を代表する茶の湯菓子として親しまれている。

  さらに、豊橋菓子協会が兵庫県の但馬国中嶋神社からお菓子の神様(菓祖)を勧請して分社を創建したという記録もあり、古くから地域を挙げて菓子文化を大切にしてきた風土が息づいている。

 

若松園
若松園

洋菓子との融合も

 伝統を重んじる一方で、豊橋の和菓子業界は非常に柔軟だ。「お亀堂」の看板商品「もっちりあん巻き」は、県産小麦「きぬあかり」を使用した高い品質で知られているが、豊橋に主力工場がある有楽製菓のベストセラー商品「ブラックサンダー」とコラボレーションした「ブラックサンダーあん巻き」を開発した。和菓子の伝統的な皮の「もちもち感」と、チョコレート菓子の「ザクザク感」という相反する食感を融合させたこの商品は、累計販売数500万個を突破するメガヒットとなり、新たな豊橋土産としての地位を確立している。

 和菓子と洋菓子の境界線が緩やかで、市民に日常的に親しまれている点も見逃せない。1951(昭和26)年創業の「ボンとらや」は、和洋菓子専門店として地域に深く根ざしている。職人が手掛ける伝統的な和菓子やどら焼きを販売する一方で、地元のソウルフード洋菓子「ピレーネ」も製造している。

  豊橋市の和菓子文化は、歴史に裏打ちされた格式高い「茶の湯菓子」を守り伝える一方で、地元の産業や市民の好みに合わせて進化を続けている。

ブラックサンダーあん巻き
ブラックサンダーあん巻き
ピレーネ
ピレーネ
続きを読む

購読残数: / 本

この記事は登録会員限定です
この記事は有料購読者限定記事です。
別途お申し込みをお勧めします。

山田一晶

1967年三重県生まれ。名古屋大学卒業後、毎日新聞社入社。編集デスク、学生新聞編集長を経て2020年退社。同年東愛知新聞入社、こよなく猫を愛し、地域猫活動の普及のための記事を数多く手掛ける。他に先の大戦に詳しい。遠距離通勤中。

最新記事

日付で探す

虹の森 さわらび会 藤城建設 荒木工務店 住まいLOVE不動産 蒲郡信用金庫 光生会
東三河に特化した転職サポート ひとtoひと hadato 肌を知る。キレイが分かる。 豊橋法律事務所 ザ・スタイルディクショナリー 全国郷土紙連合 穂の国