本社初代社長の星野さんが死去

2024/07/07 00:01(公開)
星野さん
 東愛知新聞社が株式会社化した際の初代社長を務めた星野是興(ほしの・これおき)さんが6月30日に腎不全で亡くなった。98歳だった。葬儀は親族で営んだ。
 1925年蒲郡市生まれ。若くして北海道に渡り、ジャーナリストして活躍。54年9月に起きた「洞爺丸事故」を現地で取材した。
 その後地元に戻り、弁護士事務所で働くなどしていたが、東愛知新聞の前身に移籍。豊橋市前畑町にあった本社での自社印刷開始(63年)に尽力した。72年に「株式会社東愛知新聞社」に改組し、初代社長に就任した。77年に現在の同市新栄町鳥畷に社屋を移転。また80年に東愛知新聞の日本新聞協会加盟を果たした。87年退任。
 豊川市の自宅家族によると、星野さんは人とは群れず、常に高い理想を追い求めていた。郷土紙の発展のために北海道時代の人脈を生かして自社印刷開始に踏み切った。また株式会社化、新聞協会加盟にあたっては、全国を飛び回って準備を進めていたという。
 80年代は、娘が住んでいた西ドイツ(当時)のザールラント州の州都を訪問。現地紙の社長と対談した。テレビメディアの台頭、新聞の電子化など、現代につながる議論をしていたという。その様子を同紙が写真入りで報じている。
 またその旅を「ヨーロッパかけある記」と題して計24回の連載を執筆した。一回あたり原稿用紙数枚にまとめ、フィルムとともに航空便で本社に送り、リアルタイムで紙面化した。
 引退後は、健康のためにヨットを趣味とする生活を送っていたが、新聞紙面を見てその内容や印刷のことを論評することもあった。
 現役時代から家族には常に優しく、病床でも気遣ってくれていたという。
【山田一晶】
星野さんと現地紙社長の対談を伝えるドイツの新聞。見出しは「メディアに関する議論」とある
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