小学生の「将来なりたい職業」でトップを維持するサッカー。豊橋市でも人気は高く、毎年のように新規クラブチームが誕生、新規サッカースクールが開設されている。当地の歴史と今後のサッカー文化について、豊橋市サッカー協会の小林立治会長が語る。
私自身、漫画「キャプテン翼」の影響でサッカーを始めたのが、今から約40年前の小学4年生時の部活動。当時は日本にプロやJリーグもなく、唯一サッカーの情報を得る方法といえば豊橋市岩田運動公園で年に2~3試合ある「日本サッカーリーグ」や、深夜番組の「ダイヤモンドサッカー」程度だった。
プロを目指すのは夢のまた夢。志があっても、どこで何をしたらいいかわからない。ただがむしゃらにボールを蹴る毎日だった。そんな中、念願のプロリーグ「Jリーグ」が誕生した。
開幕戦はテレビでも放送され、我々にとっては夢のような光景だった。そこから日本サッカーは急速に進化を続けた。インターネットの普及もあり、日本だけでなく世界のサッカー情報も入手できるまでになった。
なにより、日本サッカーの成長の背景には協会の方々の並々ならぬ努力がある。日本の目標を「世界トップ10」と掲げ、達成するために必要な事項を整理し、都道府県協会、各地域に落とし込み続けた。それがサッカー人口の拡大と、選手個々の育成・強化。よりよい選手を育てるために指導者のライセンス制度や審判の普及まで。すべてに質と量を求めていったのだ。
それに準じて1948(昭和23)年、初代会長の杉浦六治氏のもと、「豊橋蹴球部」(現豊橋市サッカー協会会長)を発足。私は12代目の会長になる。当初はサッカー人口も少なく、小学生年代のサッカーチーム数は5チームのみだったが、協会の方々の日々の積み重ねもあり、現在では18チームとなった。なんと今では、豊橋市からJリーガーや日本代表選手も輩出できるまでとなった。市のサッカー人口は、協会に登録されている選手だけでも3000人を優に超えた。
これには地元の方々や、行政の方々の尽力を得て配備された人工芝サッカー場、天然芝サッカー場などのサッカー環境の向上や、選手を育成する指導者の増加が要因だろう。特に現在の指導者は若い人が多く、勤勉であり情熱的でありそれも継続する力を持っている。大変喜ばしく思う。優秀な指導者の下には必ずたくさんの選手が集まる。逆を言えば良い選手の周りには必ず優秀な指導者がいるものなのだ。(つづく)
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