プロバスケットボールBリーグ「三遠ネオフェニックス」所属の元日本代表、太田敦也選手(41)が27日、現役引退を表明した。豊川市出身、前身の実業団チーム時代から通算18年間の現役生活をフェニックス一筋でプレーした。貴重な「和製ビッグマン」として、日本代表のセンターでも活躍した。今後はクラブのフロントスタッフとなる。引退セレモニーは後日発表予定。
豊川市立東部中学校卒業後、千葉県の柏市立柏高校、日本大学を経て、日本バスケットボールリーグ(JBL)の「オーエスジーフェニックス東三河」に入団した。2008年発足したbjリーグ「浜松・東三河フェニックス」でもチームに残り、09年と10年度のリーグ連覇に貢献。16年以降のBリーグでも活躍した。実業団時代からフェニックスで監督、ヘッドコーチを務めた中村和雄氏に中学時代から見いだされ、大学卒業後も指導を受けた。
Bリーグではレギュラーシーズン通算440試合に出場し、2083得点、1229リバウンドを記録した。
11年以降は日本代表のセンターとして、14年のアジア大会では20年ぶりの銅メダル獲得に貢献した。21年の東京オリンピックでは代表候補。背番号「8」はクラブ、代表チームのいずれも太田選手のものとして知られたが、同じ「8」を愛用する八村塁選手が代表入りした際には自ら譲ったエピソードもある。
太田選手はコメントで「18年間バスケットボールを仕事にできて感謝している。1年目は数えるほどしかいなかった選手も、bjリーグ参入で徐々に増えていった。当時の中村監督には毎日怒られながら練習したが、3度目のbjリーグ優勝時はチームに貢献できたと実感した」などと若手時代を振り返った。支えてくれた周囲に感謝しつつ、「みんながあっての自分ということを忘れず、新たな道を歩みたい」と誓った。
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愛知県田原市出身。高校卒業後、大学と社会人(専門紙)時代の10年間を東京都内で過ごす。2001年入社後は経済を振り出しに田原市、豊川市を担当。20年に6年ぶりの職場復帰後、豊橋市政や経済を中心に分野関係なく取材。22年から三遠ネオフェニックスも担当する。静かな図書館や喫茶店(カフェ)で過ごすことを好むが、店内で仕事をして雰囲気をぶち壊して心を痛めることもしばしば。
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