8大会連続ワールドカップ(W杯)出場を決めたサッカー日本代表で、今季からドイツ1部の「ブレーメン」でプレーする菅原由勢選手(25)。その競技人生をたどると「サッカー小僧のままであれ」と願う恩師の姿があった。
6月の豊川市役所。菅原選手は市内の全小学校にサッカーボール240個を寄贈した。その贈呈式で真っすぐに語った。「小さい子たちに夢を持ってほしい。僕は『豊川が世界へ』を夢見て育ってきました。夢は大きくないといけない」
幼い頃、遊び場は近所の向山公園だった。夕暮れまでボールを蹴り続けた日々を思い返しながら「誰も日本代表になるとは思っていなかったけれど、僕だけは信じていた。環境のせいにせず、自分のやりたいことを整理してやっていく。人生の選択肢は無限大にある。だからこそ子どもたちにも外で遊ぶ時間を楽しんでほしい」と話した。
サッカーと本格的に出合ったのは、保育園の年長児の頃。地元のクラブ「ASラランジャ豊川」に入団した。クラブを立ち上げた宮澤淳代表(43)は「公園でボールを蹴っているのを見て、センスは頭抜けていると思った。勝負どころでシュートを狙える。守備ではしっかりと体を張れる子だった」と振り返る。そのプレーは、仲間や指導者の目を引き付けた。
名古屋グランパスU15、U18を経て、2018年に「名古屋グランパス」入り。翌年にはオランダ1部の「AZアルクマール」に移籍し、欧州での挑戦を本格化させた。そして昨季、世界最高峰のプレミアリーグ「サウサンプトン」に移籍、今季はブレーメンでプレーしている。
宮澤さんは「由勢の場合は『有名クラブでプレーしたい』と語っても、それが夢物語に聞こえなかった。自然とそうなっていくんだろうなという予感がありました」と話す。今回の移籍については「常に先を見据えて挑戦する由勢らしいな」と笑顔をみせる。その背景には、純粋にサッカーを楽しむ姿勢があった。「彼は本当にサッカーが大好きなんです。笑顔で楽しんでプレーしている姿こそ、由勢の一番の強さです」
日本代表としては20年にデビュー。すでに国際舞台を経験してきたが、レギュラー定着はこれからの課題だ。また昨季はサウサンプトンでプレーしたが、30試合出場で先発は16試合、1得点1アシスト。チームは2部に降格するなど悔しさを味わった。「W杯で優勝するために頑張っています。すべての能力を世界最高峰にし、選手としてレベルアップしたい」と意気込む。
海外を拠点に活動しながら、菅原選手は帰国のたびにラランジャ豊川へ足を運ぶ。クラブはかつて練習拠点もなく公園を転々としていたが、現在は豊川市内では初の専用グランドを完備、セレクション制を導入するほどに成長した。菅原選手は「特別変わった気持ちはなく、昔と同じようにラランジャに行く感じ」という。
「ボールがあれば、誰とでも友達になれる。外で遊ぶことの楽しさを知ってほしい」。夢を追い続ける姿勢と、地元への感謝が支えてきた。宮澤さんは「いつまでもサッカー小僧のように楽しんでほしい」とエールを送った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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