【連載】サロン席|豊橋のアリーナ住民投票に思う(これから出版 水谷眞理)

2025/07/27 00:00(公開)
多くの人が投票所に足を運んだ

 7月20日、朝から日差しは厳しく、投票所に向かう人たちの足取りは重たくも、どこか静かだった。私の友人は「住民投票の結果は、反対に決まってる気がするけど、一応行ってくるよ」と言って出掛けた。私はサッサと期日前投票に行き、多くの人が並んでいるのを見て不安感を抱いていた。

 

 そして豊橋で生まれ育った外国籍の人から市民税を払っている俺たちは住民ではないのかと嫌味を言われた。初めての住民投票は問題を抱えながらも行われた。

 

 アリーナを巡って、豊橋市民の意見が割れた。市制119年を迎えた豊橋市は住民投票で決着をつけることになった。それ以来、市内の各地で床屋談義や喫茶店談義が見受けられた。

 

 不幸なことに、私は賛否論争に巻き込まれ、何度かとげに刺されるような批判を浴びた。後半は黙って、この論議には加わらなかった。そして早く住民投票が始まり、民意が出ることを願っていた。

 

 投票が締め切られると、中日新聞や東愛知新聞は「賛成票が上回る」と発表したが、開票前なので、大逆転もあるだろうと疑心暗鬼であった。

 

 開票は参院選開票後に行われたので、21日午前5時半に結果が発表された。賛成票は10万6000票に達し、8万1000票の反対票を明確に上回った。

 

 住民一人ひとりの民意で決着し、私は心からうれしかった。これで、これまでの不毛な言い合いから解放されると思った。

 

都市間競争に後れをとる豊橋への「贈り物」

 

 そもそも、アリーナ構想は、国と県が主導したものだ。豊橋が属する東三河は、政治も経済も常に「尾張の次」と皮肉られてきた。

 

 そんな風聞を解消させる贈り物がアリーナ構想であった。21世紀に入って、プロスポーツ競技を開催できる施設は、地方活性化をめざす自治体の羨望(せんぼう)の的であったから、首長であれば誰でも喜んだことだろう。

 

 実は、見えないところで都市間競争が起きている。人口流出を阻止し、若い世代の定住化を望むからだ。愛知県で言えば、豊田市、一宮市、岡崎市などとの都市間競争がある。豊橋市は新幹線駅、名鉄や飯田線の始発駅、路面電車が走り、吉田城もあり、のんほいパークなどの動物園、博物館といった公共教育施設は充実し、他市から一歩も二歩も抜け出している。

 

 しかし、都市間競争には後れを強いられている。豊橋は先の魅力を生かした「まちづくり」に成功していない。

 

 例えば、吉田城の活用は核の一つになるだろうが、行政的には確固とした構想を打ち出せず、実質的には無策であった。「外からの大きな話」が舞い込んだ時、アリーナを未来志向の議論に発展させ、市民がワクワクするような構想に発展させられなかった。こうした行政の方向性の欠如が、今回の歓迎と不要論に割れ、市民間の分断となったのではないだろうか?

 

 平成中盤から令和にかけて、豊橋市長は市の未来像を自分の口で語ってこれなかった。豊橋は市長が変わるたびに色合いの違う政策が出され、どれも長続きしない。

 

 豊橋は人口36万人の大きな市である。市民の多くは、子育てしやすく、住みやすい街と、それなりに満足し、それほど変化を求めようとしない。しかし、現実は、若者が何もない街と言い捨て、市外への転出が進み、人口は知らぬうちに減少している。今回の激しい論議の背景には、豊橋市には、まちづくりの骨太なビジョンが無かったことにあるのではないだろうか。 

 

 豊橋公園をまちづくりにどのように位置づけていくのか、というビジョンがあれば、アリーナを公園にと言う声は出なかったかも知れない。残念ながら、これらの論議が未整理のまま、アリーナ問題が二度にわたる市長選挙の論点にされ、対立候補の攻撃材料の一つとされた。アリーナ問題は豊橋市政全般からすれば一事件に過ぎない。しかし、新春からの議会はアリーナ問題で混乱、住民投票で決着という遠回りをせざるを得なかった。

 

 開票後の東愛知新聞の投票分析記事に、若者の多くが賛成票であったと報じていた。私はこれを聞いて、住民投票がもたらした新しい流れを感じた。

 

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