「第107回全国高校野球選手権愛知大会」で優勝した豊橋中央。勝利の瞬間、スタンドから湧き上がる大歓声の中、萩本将光監督の目には涙がにじんでいた。愛知豊橋ボーイズ時代の恩師、藤山虎雄さんとの「13年越しの約束」を果たせた瞬間でもあった。
ボーイズ15期生の萩本監督は、藤山さん(当時監督)の教え子だ。この代では主将を務め、中日本大会では3位、春の全国大会ではベスト4に導いた。「藤山さんには『迷っては駄目。思い切って行け』とよく言われた。この指導は豊橋中央野球の礎に間違いなくなっている」と感謝する。
その後、萩本さんは中京大中京高校を経て、東京農業大学北海道オホーツクに進学。2013年には豊橋中央のコーチに就任した。「大の恩師」と尊敬し「大人になっても迷ったら藤山さんに電話するし、背中を押してくれる存在」と萩本監督。この決断前にも相談していた。「大学に戻ろうか中央に行くか迷っているんですよ」と打ち明けると、藤山さんは言った。「お前よ、豊橋に恩返ししたか。生まれ故郷だろ」。萩本監督は「この言葉で決心がつきました」と地元に戻る決断をした。
5年間のコーチを経て、2018年から監督。一昨年秋は、強力な投手陣を武器に初の東海大会出場を果たしたが、昨夏は準々決勝敗退。萩本監督は「どん底を味わった」と振り返る。
今のチームは「目に見えない強さがある。僕が『行くぞ!』というと、物おじせずに前に行けるチームで一体感がある」と評価する。その象徴が愛知大会決勝の東邦戦だ。タイブレークの延長十一回に2点を勝ち越し、なおも2死二、三塁。ここで二塁走者の松井蓮太朗選手がわざと大きく飛び出した。投手が二塁へけん制球を送る間に、三塁から砂田隆晴選手が本塁へ突入し1点をもぎ取った。萩本監督は「大会では出したことのないサインだったが、うちの選手だったらやってくれる。失敗しても俺の責任だ」と勝負をかけた。松井選手は「『迷わず行け』と言ってくれていたので、隙があったら次の塁を狙う練習通りのプレー」と話した。中央野球を体現した一場面だった。
萩本監督は試合前、選手たちにある教え子の話を伝えた。数日前、「末期がんで寝たきりの祖母が豊橋中央の戦いを見て起き上がった」と連絡があったという。試合前には「一生懸命やると、そういう人たちの元気になる。活力になるぞ」と語りかけた。髙山兼伸選手は「感動した。よりチームが一つにまとまったような気がする」と話す。
萩本監督は試合後「まぐれで勝ったわけではない。ずっと『俺はお前たちを甲子園に連れていく』と伝えてきた。夢を追いかけて、それが報われた瞬間だった」と述べた。自身も中京大中京時代に5番一塁でスタメン出場。2回戦で智弁和歌山相手に6対7で敗れたが「甲子園はディズニーランドのようだった。あのグラウンドと観客の雰囲気が野球観を変えた。ずっとそれを選手たちにも味わせてやりたかった」と語る。
7月31日、藤山さんが大山グラウンドを訪れ萩本監督が出迎えた。「よくやった」と2人は抱き合った。萩本監督は「藤山さんを見て涙が出た。恩返しはただ豊橋で仕事をするだけではない。ようやく甲子園出場を決めることができ、地元に恩返しできた」。
誰よりも熱く、誰よりも信じた萩本監督。藤山さんからの教えを胸に、甲子園で指揮を執る。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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