豊橋市内の高校1年生、小林裕貴さん(16)は、先の大戦で中国大陸を転戦した曽祖父の手紙や写真を大切に保存している。取材に応じた。
曽祖父は坂口亮二さん(1919~2017年)。渥美郡杉山村の農家出身。1939年、衛生2等兵として豊橋市にあった歩兵第18連隊に応召した。裕貴さんによると、医療関係の仕事の経験があったわけではなく「小柄だから」という理由で衛生兵になったという。訓練を受けて翌年、宇品港(広島県)から船で上海に向かった。南京陸軍病院勤務を経て、浙江省などを転戦する歩兵大隊に転属。43年に帰国し名古屋陸軍病院勤務を経て45年5月に召集解除となった。最終階級は衛生兵長。
裕貴さんは幼稚園児の頃、テレビでアニメ映画「火垂るの墓」を見て、戦争のことを調べるようになった。田原市博物館であった戦後70年展を見に行ったうえ、亮二さんを訪ねて体験を聞いたほか、手紙や写真の存在を教えてもらった。実は裕貴さんの母智子さんが子どもの頃にその存在を知らされており「自分が死んだら棺桶に一緒に入れてくれ」と頼まれていたという。
「優しい、家族思いのひいおじいちゃんでした」と裕貴さん。ただ、戦争のことはあまり語らなかったようだ。「南京から引き揚げてきたときに、輸送船4隻のうち3隻が機雷で沈んだ」「仲良しの戦友が夕方に部隊が帰ってきたときに姿が見えず戦死したと知った」「名古屋城が空襲で燃え、もうこの戦争は駄目だと思った」などの言葉を遺した。
本格的に手紙を調査したのは2021年の夏休み。裕貴さんは牟呂小学校6年生で、新型コロナウイルス禍で外出もままならない中、智子さんと2人で54通の手紙を読み解いた。
1940年に南京陸軍病院に配属される際は、①豊橋公園を出発して豊橋駅まで行進②各駅停車の列車で名古屋に③そこから軍用列車になり、枇杷島、京都、姫路を通過④広島駅に着き、一泊して宇品港から上海へ―などの行程が手紙にあったという。また日中戦争(支那事変)で手柄を立てて褒賞(60円)をもらったこと、南京での生活と勤務などもつづられている。
一方で、上司から亮二さんの父に宛てた手紙もあった。「6日間も高熱が続き、A型パラチフス感染と診断された」「2週間も高熱が続いたが4週間目で平熱になった」「亮二君の発症も班長の不注意。申し訳なく思っています」などと書かれていた。その後も慰問袋のことや転属の報告など、こまめに手紙を書いている。ただ、43年に再び病気になったらしく、大陸からの手紙は7月20日で途絶えた。
裕貴さんは、これらの調査結果を「豊橋っこ調べ学習コンクール」に「ひいおじいちゃんの戦争」と題して提出。努力賞をもらった。
その後、日中戦争の研究者が裕貴さん宅を訪れ、手紙などを分析した。近著のコラムで亮二さんに触れ、衛生兵の仕事や中国大陸でまん延していた多くの感染症について、手紙を引用しながら記述している。
裕貴さんは「ひいおじいちゃんの手紙から、ほかの軍人遺族らともつながりができた」と話す。
戦後80年。今月7日、亮二さんが行きたがっていたというハワイの真珠湾を家族で訪ねた。裕貴さんらは亮二さんの写真を手に、国立太平洋記念墓地(パンチボウル)へ行き、車の中から戦没者を悼んだ。
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1967年三重県生まれ。名古屋大学卒業後、毎日新聞社入社。編集デスク、学生新聞編集長を経て2020年退社。同年東愛知新聞入社、こよなく猫を愛し、地域猫活動の普及のための記事を数多く手掛ける。他に先の大戦に詳しい。遠距離通勤中。
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