最速150㌔右腕と注目されていた豊橋中央高校出身の内山京介投手(19)は、昨秋の「プロ野球ドラフト会議」で指名漏れした。野球を辞めようと思った「あの日」から1年。2年後のプロ入りを目指し、春から社会人野球チーム「西濃運輸」で日々奮闘している。
2年秋の県大会では自己最速の146㌔をマークし、初の東海大会出場に貢献。甲子園出場経験はないが、手元には数球団の調査書が届き、伸びしろ十分とスカウトから高評価を得ていた。「当日は選ばれるかどうかの不安よりもワクワクしていた」と振り返る。
午後4時50分、ドラフト会議が始まった。同校には大勢の野球部員や教諭、取材陣が集まり、中継を見守った。しかし下位指名に進むにつれ、期待は不安へと変わっていく。「もしかしたらないかも」。午後8時頃まで待ち続けたが、最後まで名前を呼ばれることはなかった。「あの時は申し訳なさ過ぎた。監督やコーチ、チームメート、小さい頃から応援してくれた姉らの期待に応えられなかった」とその場で泣き崩れてしまった。
「全てをプロにかけてきたので、野球を辞めたい、何もしたくない感覚だった」という。それでも支えになったのは、萩本将光監督だった。2歳から姉と施設で育った内山選手の成長を高校時代から「親父」のように見つめてきた。涙を目いっぱいに浮かべ、学校を去ろうとした内山選手に「飯をいっぱい食べて明日絶対来いよ」と一言。その温かさと期待に応えたられなかった悔しさで、その日の帰り道、涙をぬぐいながら帰った。
競技を続けるかどうか迷いながら練習に向かうと、声を張り上げ、泥まみれで球を追いかける後輩たちがいた。「僕みたいに屈辱的な気持ちになってほしくない。自分が後輩のためにできることは野球しかない」と少しずつ前向きな気持ちを取り戻していった。
萩本監督の言葉も後押しした。「応援してくれた人に恩返しせず、次のステージで野球している姿を見せることなく終わってしまうのはもったいない。これだけの才能と実力があるのに。もう一度プロを目指してほしい」。ここまで野球を続けてこれたのは、「豊橋若草育成園」の山田吉勝園長や萩本監督、姉の支えがあってこそだ。「野球を続けたい」と直訴すると、萩本監督は「俺に任せろ」と言ってくれた。「どこで野球をすることになっても頑張ろうと決めた」と話す。
しばらくして西濃運輸の練習に参加することになる。チームの佐伯尚治監督は内山選手の存在は高校時代から知っていたが「社会人はレベルが高い。チームに溶け込めなかったらつらい思いをさせるかもしれない」と採用を悩んでいた。内山選手と話し「明るい性格で、四重跳びが難なくできるほど身体能力も抜群。このまま終わるのはもったいない」と感じ、引き受けることにした。
練習初日「細すぎて先輩たちに『陸上選手か』と言われるくらい体格が全然違う。投球を見ると、先輩はコースを間違えない」とレベルの差に圧倒された。3月には移動中に右手を骨折。手術が必要となったが「自分を見つめる良い機会になった」と内山選手。現在は回復し、体づくりなどをしている。
毎日午前5時からウエートトレーニングや体幹トレーニング。走り込みも続け、体重は入団時の75㌔から86㌔まで増えた。午前に事務作業や資料の発送などをし、午後は練習。「給料をもらい、会社の気持ちを背負って野球をしている。高校とは違ったプレッシャーを感じる」という。気配りも覚えた。「けが人は選手のサポートに回る。進んでチームの荷物を持ったり、給水をしたり」。少しずつ社会人としての振る舞いを身につけている。
「西濃運輸に拾ってもらったので感謝しかない。日本選手権や都市対抗で優勝したい。萩本監督、佐伯監督をはじめ、お世話になった人に恩返しするため、ドラフト1位で選ばれる選手になる」と誓った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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