新アリーナ工事に伴って旧豊橋球場の発掘調査をしている豊橋市は、同市今橋町の飽海(あくみ)遺跡で、古代から中世にかけての東海道とみられる道路遺構を発見したと発表した。古代東海道の遺構が県内で確認されるのは初めて。
発見された道の跡は、約4000平方㍍の調査区内を北西から南東へ一直線に伸びており、確認された長さは約120㍍、幅約9㍍。過去の東三河県庁や陸上競技場などでの工事の際の調査結果と照らし合わせると、少なくとも270㍍以上にわたって一直線に続いているという。
道の左右には側溝が設けられており、その出土品から、平安時代前期の9世紀に設けられたものと判明した。その後、豊川(とよがわ)の流路変更で一時的に廃れたり、渡河地点の変化や吉田城(今橋城)城下町の整備などに伴ってルートが変更されたりしながら、中世から近世の東海道に姿を変えていったと思われる。
飽海遺跡では墨書きされた土器や硯(すずり)など、公的な機関があったことを示す出土品が広く見つかっていることから渥美郡家(郡の役所)跡と推定されている。道の軸線を北西へ伸ばすと古代の行政拠点「三河国府」に突き当たり、南東へ伸ばすと江戸時代の東海道も通る火打坂に達する。道が伸びている方位は古代の広大な水田区画(条里制)の地割とも一致しており、東三河平野部での土地利用計画の基軸線になっていたと考えられる。こうした周辺のさまざまな遺跡や既に判明している歴史的事実をつなぐ重要な発見となる。
市文化財センターの岩原剛所長は、今回の発見で街道沿いの他の遺跡の評価も深まるとし、かつて古代・中世東海道ルートを推定した前田清彦氏の案と合わせ、今後の歴史研究や地形把握上での重要な成果であるとした。古代交通史に詳しい奈良大学の近江俊秀教授(日本考古学)は「古代東海道の可能性は極めて高く、疑念を持つ要素はない」とのコメントを寄せた。
遺構自体は、記録して工事が進められる予定だが、岩原所長は「今回の発見は今後の調査や、まちの歴史解明に大きくつながる」と語った。
市は25日、市民向けの現地説明会を開催する。午前10時半と午後2時の2回。事前申し込み不要。公共交通機関での来場を呼び掛けている。
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1988年生まれ。三重県津市出身。
地元で数年間地域紙の記者を務めた後、某ゲーム会社で企画の仕事などを経験。新型コロナウイルス禍で紆余曲折あって豊橋市で再び地域紙の記者に。地域の人に地域の良いニュースを伝えたい。
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