小さな体で駆け回れ―。豊橋市出身でプロレス団体「ドラゴンゲート」のワタナベヒョウ選手(20)の凱旋(がいせん)試合が22日夜、豊橋市藤沢町のロワジールホテル豊橋で行われ、満員札止め900人(主催者発表)の観客を前に163㌢の体がリングに舞った。
大歓声に迎えられたヒョウ選手は、観客から投げられた黒と黄色の紙テープで染まるリングを静かに歩いた。この日は、ベテラン望月成晃選手とのシングルマッチ。ヒョウ選手が得意技ドロップキックを何度も繰り出すも、鎖骨骨折の影響からか、高さも、キレもなく、9分10秒で片エビ固めからのツイスターで惨敗した。
だが、試合終了のゴングが鳴ったあと、「隙があったらいってやろうと思っていた」というヒョウ選手は、握手を求める望月選手の虚を突き、ボディスラムを決めると、花道を駆け抜けていった。
観戦した母・操さん(44)も「あそこで握手なんてしたらダメでしょ」と悔しさをむき出しにした息子をたたえる。
ヒョウ選手は、プロレス好きの父・健二さん(43)の影響で子どもの頃から新日本プロレスをテレビで観戦し、試合会場へと足を運んだ。1歳上の兄・隼さんと技を掛けあう日々だった。
幼い頃から小柄だったヒョウ選手にとって、レスラーとしては大きくはないドラゴンゲートの選手たちが繰り出す華やかでアクロバティックな技に惹(ひ)かれた。
中学でレスラーになることを決意し、県立豊橋南高校入学時には進路アンケートに「ドラゴンゲート」と書き周囲を驚かせた。
18歳で入門。13人いた同期も4人になった。デビューは昨年8月14日の兵庫・神戸大会。欠場選手の代わりに朝、急きょリングへ上がることが決まった。
ゴングが鳴る直前、会場に駆けつけた操さんは夢をかなえた息子の姿を涙しながら見守った。
あれから10カ月、憧れだった覆面レスラーのドラゴン・キッド選手と肉弾戦を繰り広げ、今年1月にも豊橋市で凱旋試合を行った。
生まれ持った体のバネ、柔道歴7年で培った受け身のうまさもあるヒョウ選手。大きな目標だったデビューは果たしたが「まだ自分の手で3カウントが取れていない」と悔しさがにじむ。
「ブレイブのベルトを持って豊橋へ帰ってくる」。故郷に錦を飾るため、ヒョウのごとくプロレス界を駆け抜ける。
(飯塚雪)