名古屋市守山区の元教師、末吉順治さん(77)が古里の鹿児島県の方言を研究し、単語集を作った。3400語を収録。標準語訳、用例、類語などを付け、16万文字になった。紹介者で豊橋市下地町の「吉田商会」会長の吉田廣喜さんとともに東愛知新聞社を訪れ、内容を説明した。
鹿児島県大口市(現伊佐市)出身。名城大学で学び、高校と中学の社会科の教員となった。教え子は2万2000人いる。面白いのは、鹿児島弁が今も抜けていないことだ。教壇でもこれを貫いた。「うんだもこら いけなもんな」の呪文のような言葉で始まる鹿児島県のご当地ソング「茶わんむしのうた」を生徒に教え、卒業時にみんなで歌っていたという。
末吉さんが古里の方言をまとめようと思ったのは18年前のことだ。毎年帰省しているが、違和感を覚えるようになっていた。それは、故郷の若者が標準語で会話していることだと気づいた。「このままでは言葉が失われてしまう」と考え、記録に残すことにした。
大学時代、外国人の教授から「英会話をするには600語を知っていれば十分」と聞いたことがある。それを目標に、五十音順に単語をまとめていった。「2000語を超えたあたりで足踏みした。後は、思いつくたびに一つひとつ単語を増やしていった」と末吉さん。
また調査のため、大隅半島、薩摩半島、島しょ部を訪ねた。鹿児島弁と言っても、各地で微妙に言葉が違う。島は南へ行くほど、琉球方言の占める割合が多くなってくることもわかった。それらの言葉も別途、まとめている。
夢は、鹿児島県に3500ある小学校に、作った単語集を配ること。「古里にはこんな言葉があるんだということを、子どものうちから知ってもらいたい」と話す。
愛知県は鹿児島県の最大の集団就職先だった。1950年に始まる「ガチャマン景気」の影響もあり、中学を卒業したばかりの生徒が「金の卵」ともてはやされ、就職列車で愛知にやってきた。末吉さんによると「愛知県鹿児島県人会」は10年前、35万人の会員がいたという。
「県人会での楽しみは、何の気兼ねもなく、鹿児島弁で仲間と話ができること。携帯電話もない時代、古里の言葉が飛び交う会場が楽しくて仕方なかった」と懐かしんだ。
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1967年三重県生まれ。名古屋大学卒業後、毎日新聞社入社。編集デスク、学生新聞編集長を経て2020年退社。同年東愛知新聞入社、こよなく猫を愛し、地域猫活動の普及のための記事を数多く手掛ける。他に先の大戦に詳しい。遠距離通勤中。
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