【インタビュー】「童貞絶滅列島」作者の川崎順平さん「胸を張って生きられる社会に」

2025/11/15 07:00(公開)
「青春を描きたかった」という川崎さん(提供)
「青春を描きたかった」という川崎さん(提供)

 豊川市出身の漫画家川崎順平さんによる「童貞絶滅列島」(講談社)は、今も根強いファンに愛され続けている。18歳以上の童貞が突然死する設定で読者を驚かせた同作は、2019~23年に「少年マガジンエッジ」で連載され全10巻で完結した。センシティブなテーマであるが、青春と成長を描いた深い物語として多くの読者の心に残る作品となった。川崎さんに漫画家になるまでの苦労と作品の誕生秘話を担当編集者の「とっかり」さんを交えて聞いた。

 

高校生で漫画賞受賞

 

 ―漫画との出会いについて教えてください。

 川崎 家族は漫画を読むことに対して寛容でした。両親はビッグコミックとビッグコミックオリジナルを愛読していて、トイレの本棚に置かれていました。ちらちらと「黄昏流星群」「赤兵衛」など、幼少期から渋めな漫画作品に触れてきました。「行け!稲中卓球部」は男子学生に刺さるような少し下世話な内容で、漫画好きな同級生の中で人気作品でした。

 

 ―漫画家を目指すきっかけはありましたか。

 川崎 小学6年生の頃、塾の友達の「いっとく君」が少年誌「月刊少年ギャグ王」を貸してくれたのが大きかったです。実は小学校低学年の頃にある作品の必殺技のまねをしてパンチされるいじめに遭っていました。格闘漫画に良い印象がなかったのですが、「ギャグ王」はエポックメイキング的な出会いでしたね。小学校高学年の頃からも、4コマ漫画をノートに描いて友達に見せていました。自分の漫画を読んでくれる友達がいて、続きを読ませてくれと言ってもらえていました。漫画をきっかけに友達が増えたので良い思い出です。

 

 ―大きな転機となった作品との出合いは。

 川崎 中学2年の頃、当時一番仲が良かった「ゴリ」というあだ名の友達から「僕といっしょ」を貸してもらいました。世の中にこんな面白いものがあるんだと衝撃を受けましたね。主人公の兄弟は悲惨な生い立ちなのに、何でこんなに面白いんだろうと。直接脳に届く面白さというか、悲惨で刺激的な内容でも全部笑いになる古谷実先生の作品に影響を受け、自分もこんな面白い漫画を描いてみたいなと思うようになりました。

 

 ―技術はどのように学ばれたのですか。

 川崎 当時は情報がほとんど入手できませんでした。漫画雑誌の漫画賞ページの応募規定を参考にしました。ペンなど道具も自腹で購入しましたが、インクは高くてなかなか買えず、墨汁で描いていました。

 

 ―高校生で新人賞を受賞しました。

 川崎 高校2年の終わり頃、古谷先生はヤングマガジンで連載していたので、憧れの漫画家と同じ誌面に載りたいと思ったのが応募のきっかけです。親に相談したところ「一度真剣に漫画を描いて新人賞に応募してみたら? 駄目だったら大学受験に注力しなさい」とチャンスをくれました。実は漫画家を諦めさせようというキャンペーンだったのです(笑い)。3カ月間、ショート漫画を12㌻分描いたら、賞を取って家族はびっくり。私にとって、人生で一番うれしかった出来事です。全く知らない人が認めてくれたうれしさでした。

高校で新人賞を受賞した Ⓒ川崎順平
高校で新人賞を受賞した Ⓒ川崎順平

連載ゼロで「どん底」・・・日雇いバイトを掛け持ち

 

 ―大学時代はどうでしたか。

 川崎 受賞してから大学入学まで無敵感を持っていましたが、入学後はなくなりました。同級生と飲む機会がありましたが、皆さんイケイケな人で私はオタク。童貞いじりがしやすいポジションとして確立してしまいました。自分がどれだけ通用しない人間なのかわかりました。

 

 ―大学卒業後の苦労話を。

 川崎 就職氷河期で就活もしていなかったので、進学先の大学の近くにあった洋菓子店でバイトしながらネームを応募していました。上京してアシスタントをやりましたが、アシスタント先の連載がなくなって、どん底でした。日雇いのバイトを掛け持ちしながらネームを書き続ける生活が続きました。

 

 ―編集部への持ち込み経験もあった。

 川崎 一度、丸一日東京に行くスケジュールを立てて、五つの編集部に作品を持ち込みました。原稿を放り投げられて「何でウチにこれを持ってきたのか」と言う編集部もあれば「キミは何か光るものがある」と言うところも。見る編集者によって態度や評価がこんなに違うんだと実感しました。

バイトを掛け持ちしていた Ⓒ川崎順平
バイトを掛け持ちしていた Ⓒ川崎順平

とっかりさんとの出会いが転機

 

 ―転機は。

 川崎 とっかりさんとの出会いですね。2018年頃でした。友達の漫画家から紹介されました。新宿の喫茶店で友人の漫画家さん含めて4人で顔合わせしました。

 

 ―お互いの印象は

 川崎 アイデアの出し方がすごくうまい。編集者はいろんな漫画家の挑戦や失敗を間近で見ているので、その知見という経験値はかなり助かります。漫画家の特性を見抜いて、雑談の中でも面白くなるような考えやネタを引き出してくれます。

 とっかり 普通のちゃんとした社会人という印象でした。作風からするともっと狂気を感じると思ったので、逆に突拍子なことを書いてストーリーにできる人なんじゃないかなと。無茶振りを料理できる人だと思いました。

 

 ―「童貞絶滅列島」が生まれたきっかけを教えて下さい。

 川崎 最初は日常漫画を提案したんですが、それが駄目。とっかりさんから「童貞」のネタを振られて、打ち合わせが終わった後にストーリーがすぐに思い浮かびました。最初の都庁に報道ヘリが突っ込むシーンは一瞬でできました。

 自分は「童貞」歴が長かったので、ちょうど良いテーマだと感じました。大学生時代の思いがとげのように心に刺さっていて、昇華させられると思いました。

 とっかり 「童貞」ってよく考えると差別的だし、きつめな言葉でもあるけど、コミカルにもなる。笑える。ギャグにもなる。性のこと、皆が気にすること、多くの人にとって刺さる。ちょうどいいなと思いました。

ヘリコプターが都庁に追突する場面 Ⓒ川崎順平/講談社
ヘリコプターが都庁に追突する場面 Ⓒ川崎順平/講談社

アンケートでは最下位も

 

 ―制作過程で苦労した点は。

 川崎 想像力を超える部分までストーリーが広がってしまい、それをどう落としどころを見つけて終わらせるのかに苦労しました。

 とっかり 川崎先生が知らないシーンの細かな部分を補足したり、「この映画のまねをしましょう」と提案したりしました。お互いが好きだった実写映画「機動警察パトレイバー」の世界観を共有できて、すり合わせができました。

 

 ―人気が出たのはいつですか。

 川崎 雑誌のアンケートで好評だった時はうれしかったです。表紙を抜いて最下位になったことがあったんです。その時は笑っちゃいました。

 とっかり 私は誇らしげに「良いことですよ」と言いました。好きの反対は無関心ですから、何か残した作品だと思いました。漫画サイト「マガポケ」に出した時に一気にお気に入りやコメントが増え、「これはいける」と確信しました。

 

 ―作品に込めたメッセージを教えてください。

 川崎 最初は説教っぽいところがあった。「童貞でもいいんだよ。そんなに悪いものじゃないよ」と伝え、胸を張って生きられる社会にしたい気持ちがある。青春を描きたかったのです。

 

 ―今後の目標を教えてください。

 とっかり 映画化やドラマ化は?

 川崎 なればうれしいですが、僕の作品でそれはないと思いますよ(笑い)。単純にたくさんの人に自分の作品に触れてほしいですね。

胸を張って生きられる世の中にしたい Ⓒ川崎順平/講談社
胸を張って生きられる世の中にしたい Ⓒ川崎順平/講談社

 8月18日に川崎さんの新作「バキしみ ~バキ童としみけんが入れ替わった件~」第2巻(KADOKAWA)が発売された。

■童貞絶滅列島

 ある日突然、18歳以上の童貞が死に始め、日本中が大パニックに! 風俗のサービス料は高騰を極め、暴徒化する童貞が続出。政府も未曾有の事態に対策が遅れていくなか、17歳の英利は、誕生日までに初体験を済ませなければ死あるのみ。焦って女子に告白するが玉砕。どうにする手段はないのか。死を目前にした童貞たちの壮絶な行動を描いた衝撃作。

 

■かわさき・じゅんぺい

 1982年12月4日、豊川市生まれ。99年、17歳で「ジーザス・キャノン」により週刊ヤングマガジン月間新人漫画賞入賞。2000年、第36回GAG大賞入選でデビュー。06年に上京。「アンゴってル!」「朱にまじわれば」などを経て、2019年「童貞絶滅列島」の連載開始。現在は「バキしみ ~バキ童としみけんが入れ替わった件~」を連載中。

 

©︎川崎順平/講談社
©︎川崎順平/講談社
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