【訃報】「優しくて何よりかっこいい人だった」菅原浩志監督を悼む声続々 豊橋ふるさと大使

2025/11/28 00:00(公開)
映画「カムイのうた」について語る菅原監督(昨年撮影)
映画「カムイのうた」について語る菅原監督(昨年撮影)

  映画「早咲きの花」の監督などを務め、長年「豊橋ふるさと大使」として尽力した菅原浩志氏が、今月12日に死去した。70歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われた。

 

 1955年、北海道生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)芸術学部映画テレビ学科に留学し、帰国後、「里見八犬伝」などのプロデューサーを経て88年に「ぼくらの七日間戦争」で監督デビュー。ブルーリボン作品賞などを受賞した。2006年には豊橋市制施行100周年記念映画「早咲きの花」の監督と脚本を手掛け、同年11日には「ふるさと大使」に就任し、豊橋との絆を強めた。北海道東川町が舞台の「写真甲子園 0・5秒の夏」は第30回東京国際映画祭でワールドプレミア上映され、その縁で制作された、アイヌの文化を初めて日本語に訳した実在の人物、知里幸惠をモデルにした映画「カムイのうた」は海外の映画祭でも大きな反響を呼んだ。

 

 2010年から10年間は「豊橋まつり」総合プロデューサーとして企画立案や演出を担当し、まつりの盛り上げに貢献したほか、14年には市の魅力を伝えるプロモーションビデオの制作も手掛けた。

 

 東愛知新聞社ではコラム欄「朝の一筆」の執筆者の一人として読者の心に残るコラムを寄稿していたほか、10年6月には東愛知サロン会の講師として「『早咲きの花』子どもたちは私たちの未来」と題して講演した。

 

 訃報を受け、豊橋市の長坂尚登市長は「本市に多大なご貢献をいただきました。生前のご厚情に深く感謝いたしますとともに、謹んでお祈り申し上げます」などとコメントした。

 

各界から悲しみの声

 

 菅原監督と親交のあった人が本紙に故人との思い出を寄せた。豊橋商議所副会頭で、豊橋まつり振興会会長の佐藤元英さん(ヤマサちくわ社長)▽佐藤さんとの縁で高校生で映画「早咲きの花」のボランティアスタッフとして初参加、市プロモーション映像撮影や映画「写真甲子園」でアシスタントプロデューサーとして撮影に参加した杉浦青さん▽豊橋まつりや映画でビジュアルデザインなどを手掛けたエクスラージの共田慎性さん―の3人。

    

 

 

佐藤さん

 

 「アクション!」

 「カット!」

  渋くて張りのある監督の声が撮影現場に響き渡る。 映画に無縁の私が、初めて見る撮影現場。

 

 「早咲きの花」の撮影サポートを通じて、監督とのご縁が始まった。まっすぐな人、熱い人、夢を語れる人、優しくて何よりかっこいい人、気遣いの人。

 

 「ええじゃないか豊橋まつり」のプロデューサーを10年務めていただき、「豊橋まつり」に一本しっかりした芯を通してくれた。常々「豊橋まつりを、日本を代表する10大祭りにしよう」と叱咤(しった)激励いただいた。

 

 豊橋のプロモーションビデオには、監督の「とよはしLOVE」がにじみ出ている。「豊橋ほど素晴らしいところはないんですよ! 豊橋の人がすてきなんです」。

 

 監督の期待に応え、素晴らしい豊橋にすることが一番の供養と思います。

 

 ありがとう! 菅原浩志監督 合掌

 

    ◇

 

杉浦さん

 

  菅原監督と出会った方々は誰もが、目力と握手の強さを感じたと思います。常に相手のことを思い、小さな出会いも大切にされる、優しさあふれる紳士でした。作品、周りの方々に真摯(しんし)に向き合い、映像表現への理解が深く、映画製作という仕事の本質、意義を教えてくださった唯一無二の存在です。

 

  多感な高校生だった私が将来に希望を抱けたのも、「早咲きの花」撮影当時に監督、作間プロデューサー、全スタッフの「頑張る大人の姿」を間近で見させていただくことが出来たからです。苦しい時には何度も助けていただき、20年間、私の人生の指針であり続けてくださった監督には感謝しかありません。監督の映画がこれからも多くの人の心に響きますように。

 

    ◇

 

共田さん

 

 お別れの会に行ってきました。映画監督で70歳なんてまだまだこれからなのに、ショックを受けました。

 

 豊橋市制施行100周年記念映画「早咲きの花」で菅原さんが監督を務められたのが縁です。映画のプログラムやパンフレットをたくさん作りました。おかげで、菅原さんが「豊橋まつり」の総合プロデューサーに就任された際、地元の仕事をエクスラージが請け負いました。

 

 そして、菅原監督のアイヌを追った写真集「ヌプリコロカムイノミ」の出版、昨年公開の「カムイのうた」の宣伝ポスターの制作へとつながりました。映画のエンドロールで会社の名前が出たときは感無量でした。

 

 9月のリモート会議で会ったのが最後。「頑張ってください」などと声を掛けましたが残念です。(談)

 

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田中博子

 愛知県豊橋市生まれ。大学卒業後、校閲記者として入社。1年後に報道記者に転身した。2020年から報道部長。芸術、福祉、経済・奉仕団体などを担当する。趣味は、かなりジャンルに偏りのある読書と音楽鑑賞。思考のそっくりな一人娘と趣味を共有している。

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