豊川市東曙町の牛島悠汰さん(16)が、フェンシングと砲丸投げの「二刀流」でパラ五輪の表彰台を目指している。一昨年、熱中症がきっかけで左半身にまひが残る困難に直面したが、懸命なリハビリを経てパラ競技へ転身。わずか数カ月で砲丸投げ日本記録を出し、フェンシングの国内大会では3位入賞を果たした。
幼少期からスポーツ少年で、陸上部では走り幅跳びや砲丸投げで大会入賞する選手だった。中学3年の夏の授業中、突然目の前が真っ暗になり動けなくなった。気づいたら病院のベッドの上。左半身が思うように動かなくなっていた。「治るよね」。母のめぐみさんは答えられなかった。「見ていられなかった。なぜ悠汰なのと思った」と語る。
途方に暮れていた牛島さんに笑顔が戻り始めたのは昨春。偶然見つけた車いすテニス教室の案内が、スポーツ再開のきっかけとなった。昨年2月まで入院してリハビリを続け、県の強化プログラムや発掘プロジェクトの練習に参加した。
砲丸投げの候補に選ばれた牛島さんは昨年7月から競技を始めた。F34クラスは椅子に体を固定して4㌔の砲丸を投げる。牛島さんは「昨年9月、記録保持者から更新は難しいと言われ、そこから反骨心が芽生えた」と話す。11月の「宮崎県チャレンジアスリート記録会」で6㍍54㌢を記録。従来の日本記録を17㌢上回り、「喜びのあまり大きな声で『よっしゃー』と叫んでしまった」と回想する。
10月末からはフェンシングにも挑戦を始めた。「体験に行ったら楽しかった」と語る。月3回の教室と自宅での練習を重ね、今年1月に有力選手も参加する「パラフェンシングピースカップひろしま」に初出場した。試合当日が母の誕生日で「絶対にメダルをプレゼントしたい」という決意で強豪を次々と倒しての銅メダル。母は「最高のプレゼント」と喜んだ。牛島さんは「新米のように扱われるのが嫌だった。実力以上の力が出せた」と話す。
一方で課題も見つかった。フルーレ決勝トーナメント2回戦で敗れた。「スタミナ不足で後半にフォームが崩れる。動きを読まれ、同じ技で返される。力量不足だった」と反省した。競技の魅力を「1対1で相手の動きを読み合う楽しさがある。スピード感と、剣のしなりは最高」と目を輝かせる。
4月からは教室のある岐阜県に引っ越し、本腰を入れる。目標は7月の全日本選手権での3位以内。ロサンゼルスパラ五輪出場、ブリスベンパラ五輪でのメダルを見据える。「それぞれの競技でやってきたことが生きる。相乗効果で砲丸投げの記録も更新したい。自分の活躍でパラ競技を多くの人に知ってほしい」と語った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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