【連載】豊橋の百年を刻む〈60〉キャベツ農家 七代目の加藤正人さん

2026/07/07 00:00(公開)
現在耕しているキャベツ畑で、昨年の冬の様子=豊橋市伊古部町で
現在耕しているキャベツ畑で、昨年の冬の様子=豊橋市伊古部町で

 キャベツは大西洋沿岸がルーツで、江戸末期に日本にやってきた。甘藍(かんらん)や玉菜(たまな)と呼ばれ、戦後の食糧増産で育てる農家が一気に増えた。玉の固く締まった冬ものと葉の巻きの緩い春ものがあるが、冬の厳寒期に収穫できる地域は愛知県が中心で、豊橋では出荷の7割が冬キャベツである。

 

 キャベツ農家で加藤家の七代目となる加藤正人(62歳)は、就農時から米や葉タバコ、ハクサイや大根を作ってきた。現在は米、タマネギ、キャベツを作っている。作付面積が一番多いのはキャベツで、11月から翌年4月まで収穫が続く。6月頃に新タマネギの収穫が終わると、7月中旬からキャベツの種まきを始める。自動の播種(はしゅ)機械がセルトレーに種をまき、25日程度育苗したものを、機械で定植していく。

 

 季節が冬に向かうため、その年の気温や降水量は生育に大きく影響する。特にこの数年は、水不足が続いた。豊川用水が利用できるとはいえ、ダムの貯水量が40%を切ると農業用水は節水に入る。だから水が少なく、気温が5度より低かった2024年秋はキャベツの成長が止まり、小ぶりのままだった。

 

 正人はキャベツ部会の鉄コン倶楽部に所属している。この名前は、収穫したキャベツを入れる鉄製のコンテナ籠に由来している。倶楽部会員は23人ほど。豊橋産のキャベツは甘さや柔らかさなど味の良さで評価が高い。有名料理店のロールキャベツ、居酒屋のざく切り塩キャベツ、家庭用の千切りキャベツなど、玉のまま以外にも多種に加工され、東北から近畿地方まで広く流通している。各農家がJAに集約し、あいち経済連を経て販売店の店頭や加工業者に渡る。近年はその品質の良さで大手加工業者から産地表彰を頂いた。

先祖代々の家系図で、始まりが享保20年没と書いてある
先祖代々の家系図で、始まりが享保20年没と書いてある

 草間町にある大應寺は加藤家の菩提寺だ。加藤家は代々惣兵衛と名のり、先祖の記録が1735(享保20)年没から始まる。キャベツ農家の加藤正人の先祖は、その分家の分家で、それでも正人で七代目となる。以前に加藤一族は年1回集まって法要を営んでいた。それが長年一族の絆をつないできた。昔は本家の総領となると、冠婚葬祭のなかでも仏壇と位牌を守る法要は、お盆以外にも忌の節目ごとに主催していた。それによって先祖をしのび、子や孫のお披露目になり、一族のつながりを保っていた。正人が加藤一族の集まりに父の代わりに顔を出すようになったのは、20年ほど前のことである。

後ろのタイヤの直径は160㌢もあるトラクター
後ろのタイヤの直径は160㌢もあるトラクター

 正人は姉と妹の3人姉弟であったため、父の跡を継ぐのは自分だと思っていた。高校を卒業し、園芸専門学校に通い、19歳で就農した。曽祖父の時には既に農業を営んでいたため、広大な農地を家族で耕している。

 

 米はこしひかりの種もみをJAから購入し、自宅で苗作りをする。正人は育苗にこだわり、種もみの消毒から播種(はしゅ)、浸種(しんしゅ)、催芽(さいが)、と手をかけて自分の目で確かめながら苗作りをしている。

 

 近年の肥料や農業資材の高騰には頭を悩ませている。日本の食を支える米や野菜はやたらに値段を上げることはできない。昨年の米の高騰は、確かに消費者にとっては家計を圧迫した大事件だったが、農家にとっては、ずっと30㌔7000~8000円だったため、見えない赤字を抱えていた。どこかで値段を上げなければ、この数年の物価高騰に対する経費は見合わなかった。10㌃あたり2万~3万円近くの赤字を他の作物出荷で埋めていたようなものである。

 

 みずみずしいキャベツや新米を楽しみにしてくれる消費者のために、仏壇に手を合わせながら、七代目加藤正人は丁寧に苗から育てている。

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